2019、3、17     受難節第2主日礼拝     牧師 川﨑善三

「とりなしの祈り」 ルカ11:5~13

イエスさまが弟子たちと共に、ユダヤの国中を伝道しておられた時、弟子たちは祈りにつ

いて、イエスさまから教えていただいた事がありませんでした。弟子のひとりが言いまし

た。「先生、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてくだ

さい」イエスさまは、こう祈りなさいと言われました。「父よ、御名があがめられますよう

に。御国がきますように。わたしたちの日ごとの食物を日々お与えください。わたしたち

に負債のあるものを皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたした

ちを試みに会わせないでください」この祈りの言葉は、私たちが通常お祈りしている「主

の祈り」の原型と言われるものです。そして、この言葉に加えて、ひとつのたとえを話さ

れました。ある人の所に旅先から帰ってきた友達が、真夜中にやってきました。その友は

空腹で、今にも死にそうなぐらい飢えていました。そこで、その人は近所に住む友人の所

に行って、どんどん戸をたたき、訴えました。「友よ、起きて下さい。私の友だちが旅先か

ら帰ってきて、わたしの所に着きました。彼は空腹で、今にも死にそうなぐらい飢えてい

ます。どうか、パンを三つ貸してください。私の所には何も食べるものがありません」そ

の人は一生懸命、戸をたたいて叫びました。しかし、家の人が起きてくる気配がありませ

ん。しかし、なお戸をたたき続けると、家のあかりがつきました。「面倒をかけないでくれ。

もう戸は締めてしまったし、子どもたちも私と一緒に寝てしまっている。今、起きて何も

あげるわけにはいかない」ところが、その人は諦めようとはしませんでした。とうとう、

家の人は戸を開けて、その人にパンを三つ貸してくれました。イエスさまは言われました

「よく聞きなさい。友だちだからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起

きて必要なものを出してくれるであろう」私たちは祈り続けることの大切さを教えられま

す。このたとえの中に、もうひとつの真理が隠されています。この祈りは、自分のために

パンを求めているのではありません。旅先から帰ってきた友のために求めているのです。

この祈りはとりなしの祈りです。このパンとは、私たちの命となるものです。この命のパ

ンとは救いです。友が死にかかっています、この友を救うために命のパンを与えてくださ

いと祈っているのです。私はパンを持っていません。しかし、神さまはこの人を救うこと

のできるパンを持っておられます。どうか、この救ってください。あなただけがこの人を

救って下さることができる御方です。このように、人の救いのために、しきりに祈りなさ

いとイエスさまは言われたのです。「絶えず、祈りと願いをし、どんなときにも御霊によっ

て祈り、そのために目をさまして、うむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけな

さい」(エペソ6:18)私たちは友の救いのために祈り続けていきましょう。