2019、3、24     受難節第3主日礼拝    牧師 川﨑善三

「受難の予告」    ルカ9:18~27

 イエスさまは、いつ頃から十字架につけられて死ぬという事を弟子たちに話されるよう

になったのでしょうか。イエスさまは、受難の予告を五度にわたってなさいました。

「イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた『人々

は人の子をだれと言っているか』」(マタイ16:13)イエスさまの伝道の初期は、カペ

ナウムの町を拠点としたガリラヤ湖の周辺でした。そして、しばらくしてピリポ・カイザ

リヤ地方に出かけられました。この地方は、イスラエルの国の北の地方であり、ヘルモン

山がそびえ、国境を越えればシリヤという国に入ることのできる地方でした。その地方は

異教の神々が祀られ、異邦人はいろいろな偶像を神として崇めていました。そのような中

で、イエスさまは弟子たちに「人々は、わたしのことをだれだと言っているか」と尋ねら

れたのです。弟子たちはそう言った質問をイエスさまからされたことは、それまで一度も

なかったようでした。彼らは互いに語り始め、そして何人かの弟子が答えました。「ある人々

はバプテスマのヨハネだと言っています。また、ある人々はエリヤだと言っています。エ

レミヤだと言う人もあります」イエスさまは、この時どんな気持ちであられたのでしょう

か。だれも、わたしのことを正しく理解していないと失望されたのではないでしょうか。

そこで、イエスさまは弟子たちに言われました。「あなたがたはわたしをだれだと思ってい

るのか」すると、ペテロが答えました「あなたこそ生ける神の子キリストです」イエスさ

まは、ペテロの信仰告白を大変喜んでくださいました。イエスさまは言われました。「あな

たにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく天にいますわたしの父である。わたしはこの

岩の上にわたしの教会を建てよう」教会とは、イエスさまがキリストであると信じる人々

が集められている所です。ですから、たとえ二、三名の人であっても、この信仰をもって

集まっているなら、そこは教会です。今日も日本キリスト教団の1700余りの教会で礼

拝がささげられていると言う事は、すばらしいことだと思います。「この時から、イエス・

キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦し

みを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」

(マタイ16:21)ペテロが「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白した時か

ら、イエスさまは受難のお話をされるようになりました。この事は大事なことです。「キリ

ストは十字架につけられて殺され、そして三日目によみがえる」これが福音であります。イエスさ

まは、罪ある私たちに代わって苦しみを受けてくださいました。イエスさまの十

字架が、わたしのためであると信じる人は救われます。