2019、3、31    受難節第4主日礼拝     牧師 川﨑善三牧師

「イエスの変容」                  ルカ9:28~36

 イエスさまが人間の姿をとって、この地上に来られる前の姿がどんなものであったかは

よくわかっていません。旧約聖書には、こう書いてあります。「わたしは、そのかたわらに

あって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、その地で楽しみ、また世の人を

喜んだ」(箴言8:30,31)イエスさまは、父なる神のかたわらにあって天地万物を造

られました。そして、わたしたち人間を造って下さったとき、神と共にイエスさまも大変

喜んで下さいましたと言う意味のお言葉です。しかし、この時のお姿については何の記述

もありません。ナザレのイエスとしてお生れになった主は、特別凛々しいお姿であったと

は書いてありません。「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕う

べき美しさもない」(イザヤ53:2)と言われるようなお方でした。そのようなお姿であ

ったイエスさまが、一度だけ受肉以前の栄光のお姿を現されたことがありました。「これら

のことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、

祈るために山に登られた」イエスさまは、特別三人の弟子だけを連れていき、その目撃者

とされました。彼らは、祈っている間にイエスさまの姿がだんだんと変わっていくのを見

ました。「み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた」イエスさまの輝きは、神の

御子としての輝きでした。それから、その輝きの中にふたりの人が現れてイエスさまと語

りあっていました。弟子たちはあまりのまばゆさで、その人たちが誰であるかわかりませ

んでした。やがて、そのふたりはモーセとエリヤであることがわかりました。「栄光の中に

現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである」

モーセとエリヤは、神からつかわされて、イエスさまのもとに現れました。そして、イエ

スさまが人間の罪のあがないとして十字架刑を受けなければならないという事を、イエス

さまに伝えるために来たのです。このふたりがイエスさまから離れ去ろうとしているのを

見て、ペテロはこう言いました「先生、わたしたちがここにいるのはすばらしいことです。

わたしたちは小屋を三つたてましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、

一つはエリヤのために」ペテロがこう言っている間に、雲がわき起こってきて彼らをおお

い始めました。そして、雲の中から声がありました。「これはわたしの子、わたしの選んだ

者である。これに聞け」この時の経験は、三人の弟子たちにとって忘れることのできない

経験となりました。神の子イエス・キリストは、私たちを救うためにこの地上に来られま

した。そして、十字架にかかって死なれました。父よ、彼らの罪をおゆるしくださいと祈

ってくださいました。私たちはこの事を忘れてはなりません。わたしたちの罪は完全にゆ

るされていることを感謝いたしましょう。