2019、4、7     受難節第5主日礼拝      牧師 川﨑善三

「先頭に立って」                  マルコ10:32~45

 イエスさまのご受難が近づいてきていました。弟子たちは、この時のイエスさまの行動

と態度が常日頃とちがっていることに気がつきました。「さて、一同はエルサレムへ上る途

上にあったが、イエスが先頭に立っていかれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐

れた」(マルコ10:32)ふだんならば、弟子たちと和気あいあいと旅するという状態で

したが、この時はイエスさまが先頭に立ち、その目をエルサレムに向けて突撃するように

して進んでいかれるので、弟子たちは怪しみました。すると、イエスさまはそれに気づか

れて、弟子たちと共に歩み、これから起こるべき事について語り始められました。

「見よ、わたしたちはエルサレムへ上っていくが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に

引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。ま

た彼をあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺してしまう。そして彼は三日の後に

よみがえるであろう」イエスさまの言葉のとおりの事が実現しました。ところが、イエス

さまがこの話をなさっても、実際にそのような事が起こると思った弟子はひとりもいませ

んでした。その事を示す出来事が、これに続いて起こります。ヤコブとヨハネが、イエス

さまのもとに来て「あなたが栄光をお受けになるとき、ひとりを右に、ひとりを左にすわ

れるようにして下さい」とお願いしました。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わ

かっていない。あなたがたは、わたしが受ける杯を飲むことができるか」とイエスさまは

言われました。人は、神さまから与えられる杯を受けなければなりません。ある人にとっ

て、それは耐えがたいような試練であるかも知れません。しかし、神さまは耐えられない

ような試練にあわせることはなさいません。その人の信仰と力に応じた十字架を背負わせ

られるのです。ヤコブとヨハネが抜け駆けをして特別なお願いをしたという事を知って、

十人の者は憤慨しました。そこで、イエスさまは彼らを呼び寄せて言われました「あなた

がたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、かしらとなりたいと思う者は、す

べての人の僕とならねばならない」止揚学園の医療係の職員がやってきて言いました。「さ

ち子さんの様子が少し変だと思います」そこで急いで病院に行きました。検査の結果、腸

閉塞だとわかり、すぐに手術しました。医師が言いました。「よくわかりましたね。あと2、

3時間見つけるのが遅れていたら、大変なことになっていました。職員の方の直感力が優

れているのですね」その時、福井先生は言われました「それは直感力とは違います。職員

はどんな時にも、重い障害をもった仲間たちの上に立たず、下に立つやさしい愛を持って

いるので、その人たちの心の声が聞こえてくるのです」

「上に立たない優しさ、下に立つ愛」を持つ努力をすると、人の痛みや訴えが聞こえてく

るようになります。「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、ま

た多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」この愛に生きる者となりま

しょう。