2019、4、14       受難週主日礼拝        牧師 川﨑善三

「みこころのままに」                 マルコ14:32~42

 イエスさまの力の源泉は、祈りにありました。イエスさまは朝早く起きて、人のいない

所に出て行って祈られました。昼にも祈られ、夜通し祈られたこともありました。イエス

さまは、いつも神さまとの交わりを第一として、神に祈り、神の導きをうけつつ、その3

3年のご生涯を歩き通されました。受難週の一日一日も神さまのお導きに従って、お過ご

しになりました。木曜日にはエルサレムに入り、過越の食事をなさいました。「わたしは苦

しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた」(ルカ22:

15)イエスさまは、エルサレムで祭司長、律法学者から辱しめを受け、十字架につけら

16)れて死ぬことを知っておられました。そんなイエスさまにとって、弟子たちとの最

17)後の食事が過越の食事でした。ですから、万感の思いをもってその食事に臨まれた

18)と言うことがよくわかります。それでは過越の食事とは、どんなものだったのでし

19)ょうか。この祭は、イスラエルの人々がエジプトから解放された時のことを、いつ

20)までも憶えておくための祭でした。その食事はこのように定められていました。「小

21)羊の肉を火にやいて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない」(出

22)エジプト12:8)イエスさまと弟子たちの食事も、そのようなシンプルなもので

23)した。この時、イエスさまは、過越の食事に新しい意味を与えられました。「これは、

24)あなたがたのために与えるわたしのからだである。」「この杯は、あなたがたのため

25)に流すわたしの血で立てられる新しい契約である」(ルカ22:19,20)イエス

26)さまは、パンをわたしのからだであると言われました。又、ぶどう酒をわたしの血

27)であると言われました。わたしは十字架にかかり、わたしのからだと命である血に

28)よって、あなたがたを罪からあがなうのであると言われたのです。このようにして、

29)食事を終えられてオリブ山のすそにあるゲッセマネという所に出かけられました。

30)「彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った」(マルコ14:26)最

31)後の晩餐の締めくくりは、さんびでした。ゲッセマネの園に着いたとき、イエスさ

32)まは弟子たちに言われました「わたしが祈っている間、ここにすわっていなさい」

33)イエスさまはこの時十字架の苦しみが、どのようなものであるかを示されました。

34)肉体の苦痛もさることながら、神から見捨てられるという魂の苦痛も示されて、恐

35)れおののき、また悩み始められました。「アバ、父よ、あなたには、できないことは

36)ありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの

37)思いではなく、みこころのままになさってください」(マルコ14:36)私たちは、

38)最後のさいごまで自分の願いや思いをかなえてくださいと祈ります。しかし、最後

39)には、すべてを神さまにおまかせしますという祈りに至らせていただけますように。

「主よ、みこころがなりますように」