2019、7、7       聖霊降臨節第5主日礼拝      牧師 川﨑善三

「大きな喜び」                      ルカ15:1~10

 イエスさまは、どのような人たちに神の国の話をしておられたのでしょうか。まず、い

つも共にいる弟子たちに多くの時間をさいて話されました。弟子たちは他の誰よりも天国

の話を聞き、その内容を教えていただいていました。ですから、人々にそれを語る義務が

ありました。イエスさまは言われました「わたしはあなたに天国のかぎを授けよう。そし

て、あなたが地上でつなぐことは天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解か

れるであろう」(マタイ16:19)また、教師やパリサイ人、群衆にもお話しされました。

この人たちは律法についての知識があったので、よく質問しました。それから、取税人や

罪人たちでした。「さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた」

聖書で言う罪人とは、どういう人たちであったのでしょうか。パリサイ人たちが律法を厳

格に守ろうとするのに対して、そんなに厳格に守らない人々、すなち、一般の人々をパリ

サイ人たちは罪人と呼んでいました。しかし、この人々こそ、真剣にイエスさまの話を聞

きたいと願っていました。イエスさまは、ご自分のもとに来る人を拒まれることはありま

せん。この時も彼らを迎え、一緒に食事をされました。パリサイ人たちからすれば、罪人

と食事をするなんて、とんでもないことでした。パリサイ人たちはつぶやいて「この人は

罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言いました。そこでイエスさまは、ひとつの

たとえを話されました。百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなった

ら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないで

あろうか。羊たちは、聖書では神の民と言われるイスラエルのことです。したがって、こ

の羊の群れの所有者は、神さまです。百匹のうちのたった一匹だから、いなくなっても問

題にならないと言う訳にはいきません。神さまは、いなくなった一匹を捜し出し、連れ戻

すまでは休むことはできません。この一匹を捜し続ける神の愛がこのたとえには現されて

います。三浦綾子著「海嶺」という小説があります。静岡の漁船が難破して、カナダまで

漂流して助かった三人の水夫の話です。この三人は、アメリカに行き教会で聖書の話を聞

きました。そのとき聞いた話が、いなくなった一匹の羊の話でした。彼らは、いなくなっ

た羊はわたしのことだと思いました。そのいなくなった私を、神さまが探し求め、助けて

下さったのだということがわかり、イエスさまを信じて洗礼を受けました。神さまは、今

も私たちを捜し続けておられます。そして、見つけたら羊飼は、それを自分の肩に乗せ、

家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、「わたしと一緒に喜んで下さい。いなくなってい

た羊を見つけましたから」と言いました。それと同じように罪人のひとりが悔い改めるな

らば、天において大きな喜びの声があがるであろうとイエスさまは言われました。天にお

いて大きな喜びの声があがっています。この喜びがますます広まっていきますように。