2019、8、18     聖霊降臨節第11主日礼拝      牧師 川﨑善三

「わたしの隣り人」                  ルカ10:25~37 

主は、七十二人の弟子たちを町や村へとつかわされました。やがて、その人々が帰って

きて、報告しました。「主よ、あなたの名によって悪霊に命じますと悪霊どもも、私たち

に従いました」弟子たちは、病める人々をいやし、悪霊につかれて苦しんでいる人々か

ら悪霊を追い出すという奇跡を行うことができたと喜んで、イエスさまに報告しました。

すると、主は言われました「霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなた

がたの名が天にしるされていることを喜びなさい」天に名がしるされているとは、いの

ちの書に私たちの名前が記されているということです。地上で奇跡を行うことができた

と言って喜ぶより、救われているということを喜びなさいと主は言われました。そこに

ひとりの律法学者が現れて、イエスさまを試みようとして言いました「先生、何をした

ら永遠の生命が受けられましょうか」イエスさまは言われました「律法にはなんと書い

てありますか」「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして主なるあなた

の神を愛せよ。また、自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよとあります」と律法

学者は答えました。 イエスさまは「そのとおりです。そのとおり行いなさい」と言わ

れたのです。すると、律法学者は「わたしの隣り人とはだれのことですか」とたずねま

した。彼は、隣り人を愛するということは、どういうことかわかっていなかったのでし

ょうか。いいえ、わかっていたようです。しかし、その事ができていなかったようです。

そこで、自分の立場を弁護しようと思って、そんな質問をしたのです。イエスさまは、

サマリヤ人のたとえをお話しになりました。ある人がエリコへ下っていく途中で、強盗

どもに襲われました。強盗はその人の着物をはぎ、傷つけ、半殺しにして、逃げ去って

しまいました。すると、そこへ祭司が通りかかりました。祭司はこの人を見ると、道の

向こう側を通って行ってしまいました。次に、レビ人もその場所にさしかかりましたが、

彼を見るとレビ人も向こう側を通って行ってしまいました。ところが、サマリヤ人が通

りかかり、強盗に襲われた人を見て、気の毒に思って近寄り、傷の手当をして、自分の

家畜に乗せて宿屋へ連れていって、介抱しました。翌日、宿屋の主人にデナリ二つを渡

して「この人のめんどうを見てあげて下さい。費用がよけいにかかったら、帰りがけに

わたしが支払います」と言いました。イエスさまは隣り人を愛すると言うことはどうい

う事かを、このたとえを通して話して下さいました。これは、祭司やレビ人が、そのよ

うな行いができていないと言うことを指摘されたのです。口先では神様を愛します。律

法を守りますと言いながら、実際には困っている人々を助けないばかりか、弱い人、虐

げられている人々に冷たいしうちをしていたのが律法学者たちであったのです。それに

ひきかえ、サマリヤ人が愛に生きる生き方をしていると、イエスさまは言われました。「あ

なたも行って同じようにしなさい」さあ、私たちはこの行いに励みましょう