2019、10、6      聖霊降臨節第18主日礼拝      牧師 川﨑善三

「世の富を用いて」                     ルカ16:1~13

イエスさまのたとえは、神さまがわたしたちをどれだけ愛して下さっているかを教えて

くれます。ある家の主人がぶどう園を持っていました。(マタイ20:1~7)収穫の季

節になったので労働者を雇うために、夜明けとともに町に行き、一日一デナリの約束を

して、彼らをぶどう園に送りました。それから、朝の九時、昼十二時、三時と出て行っ

て、同じように労働者を雇いました。最後には五時ごろ、町へ行くと、まだ立っている

人がいました。主人は言いました「なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか」

彼らは答えました「だれもわたしたちを雇ってくれませんから」主人はその人々に言い

ました「あなたがたも、ぶどう園へ行きなさい」さて、夕方になり仕事も終わったので、

主人は管理人に言いました「労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からは

じめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃金を払ってやりなさい」そこで、五詩

ごろに雇われた人々がやってきました。管理人はその人々に一デナリを払いました。そ

れを見ていた最初の人々は、私たちは一日中働いたのだから、一デナリ以上もらえるだ

ろうと思って、並びました。すると管理人はこの人々にも一デナリだけを渡しました。

そこで、その人々が不平を言いました「私たちは朝早くから来て、一日中働いたのに一

デナリだけとはどういう事ですか。五時から働いた者は一時間しか働かなかったのに、

一デナリをもらえるなんて、どういうことですか」そこで、主人はその人々に言いまし

た「わたしは、あなたになんら不正なことをしていません。あなたはわたしと一デナリ

の約束をしたではありませんか。ですから、自分の賃金をもらって帰りなさい。わたし

は最後の人にも一デナリを払ってやりたいのだ。自分のものを自分がしたいようにする

のは、当たり前ではないか」このたとえで、イエスさまは神さまが気前の良い方である

事、五時から働いた人にも一デナリを払ってやりたいと思っておられる憐れみ深い御方

であることを教えようとされたのです。神さまは私たちを憐れんで下さる、そのことが

わかると、他のたとえもわかってきます。

ある金持の家の家令のたとえにも、そのことが示されています。不正な家令はやめさせ

られると思って、負債者たちを呼び出し、その負債を軽くしてやりました。あなたの負

債はどれだけですか「油百樽です」「それを、五十樽と書き変えなさい」あなたの負債は

どれだけですか。「麦百石です」「八十石と書き変えなさい」ところが主人は、この不正

な家令の利口なやり方をほめました。彼が負債ある者の負債を軽くしたからです。その

やり方に、憐れみの心があることを喜んだのです。この世の富を神さまのため、福音伝

道のために用いて、信仰の友をたくさん、つくりなさい。そうすれば、死んでこの世を

去るとき、あなたの働きによって救われた人々が喜んで、あなたを天国に迎えてくれる

でしょうとイエスさまは言われました。この世の富を、神のために用いることを第一と

考えましょう。