2020、1、5       降誕節第2主日礼拝        牧師 川﨑善三

「ひとり子なる神」                     ヨハネ1:6~18

 神さまは、私たちの目には見えない御方です。目には見えませんが、永遠のはじめから

永遠のおわりまで確かに存在しておられる御方であり、わたしたちの皮が滅ぼされ、肉を

離れるとき、お会いできる御方です。(ヨブ19:26)しかし、三位一体のひとり子なる

神イエス・キリストは、人の姿をとって私たちの世界にやってこられました。バプテスマ

のヨハネは、そのことを人々にあかしをするために生まれてきました。ヨハネの語った言

葉は、当時の人々に大きな感動を与えました。人々は、ヨハネをまことの光ではないか、

救い主ではないかと大きな期待をかけました。しかし、ヨハネは光ではなく、ただ光につ

いてあかしをするためにきたのです。ヨハネは「わたしのあとに来るかたは、わたしより

もすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである」と言いました。キリスト

の先在性、永遠はじめから父なる神と共におられた御方であると言ったのです。そして、

私たちはイエス・キリストを信じることによって、恵みに恵みをまし加えられる世界に生

きることができると言いました。「律法はモーセをとおして与えられ、恵みとまこととはイ

エス・キリストをとおしてきたのである」とヨハネは言いました。イエス・キリストを信

じることによって与えられる、めぐみとまこととは罪のゆるしのことです。イエス・キリ

ストを信じ、神に立ち帰るならば、誰でもその罪がゆるされ、罪のないものとして神さま

の祝福が受けることができるようになるのです。

イエスさまはユダヤからガリラヤへ帰られる途中、サマリヤのスカルという町にやって

こられました。昼の12時ごろ、その町に到着しました。弟子たちが食物を買いに町に

行っている間に、イエスさまはひとりの女性に出会い、水を飲ませて下さいと言いました。

この女性は、どうしてわたしにそのような事を頼むのかと思いました。ふつう、ユダ

ヤ人はサマリヤ人を軽蔑し、高圧的に「水を飲ませろ」と言うはずなのに、イエスさま

は謙遜に「水を飲ませてください」とお願いしたのです。この女は、イエスさまの謙遜

さに心打たれました。そして、イエスさまは、こうも言われました「もし、あなたが神

の賜物のことを知り、また『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知ってい

たならば、あなたのほうから願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」

イエスさまは、この人に生ける水を求める願いを起こさせようと、こういうことを言わ

れたのです。また、言われました「わたしの与える水は、その人のうちで泉となり、永

遠の命に至る水がわきあがるであろう」この言葉を信じて、この人は自分の過去の罪を告

白してイエスさまを信じました。この人は救われ、信仰によって生ける水を与えられた

のです。律法を守ることによってではありません。イエスさまのお言葉を信じることに

よって、「生ける水」をいただいたのです。姦淫の現場をとらえられた女も、イエスさま

のお言葉によってその罪がゆるされたのです。「わたしもあなたを罰しません。お帰りな

さい。今後はもう罪を犯さないように」このふたつの事例によっても、「めぐみとまこと

とはイエス・キリストをとおしてきた」と言うことがわかります。今年も、このイエス

さまと共に歩いていきましょう。