2020、3、1        受難節第1主日礼拝        牧師 川﨑善三

「岩から水が」                  出エジプト17:1~13

イスラエルの民は、エジプトの国で430年という長い年月を過ごしました。神さまは

アブラハムに言われました「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々につか

え、その人々は彼らを400年の間、悩ますでしょう」(創世記15:13)モーセの時代

になって、やっとエジプトの国から解放されたのです。エジプトを出た人々は、シナイ

の荒野に導かれました。そして、40年間の荒野の生活のあと、カナンの地に入ること

ができるのですが、その40年間は苦難の連続でした。メラの地に着いたとき、水が苦

くて飲むことができませんでした。人々は「わたしたちは何を飲んだらいいのですか」

と、モーセに訴えました。モーセが神さまに祈ると、神さまは一本の木を示されました。

そこで、その枝を切って水に投げ入れると、たちまち水が甘くなった飲むことができる

ようになりました。                               

二番目は、シンの荒野での出来事です。人々はモーセとアロンにつぶやきました。「あな

たがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」民の

つぶやきは、いつも神に対する不信でした。その不信感が、指導者に対するつぶやきと

なって出てきたのです。エジプトでの生活が「肉のなべのかたわらに座して飽きるほど、

パンを食べていた」というわけではなかったのです。奴隷として虐げられ、毎日重い労

働をしいられる、苦しみの毎日を送っていました。しかし、荒野での日々を送るうちに、

過去の方が良かったと思うようになったのです。神さまは言われました「見よ、わたし

はあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て、日々の分を日ごとに集め

なければならない」イスラエルの人々はこのパンをマナと名づけ、喜んで食べました。

 

そして、三番目の出来事です。「イスラエルの全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を

出発し、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった」(出エジプト17:1)

先には食べる物についてつぶやいた人々は、ここでは水がない事につぶやきました。人々

はモーセに訴えました。「わたしたちに飲む水をください」モーセは言いました「あなた

がたはなぜ、わたしと争うのか。なぜ、主を試みるのか」イスラエルの民は、このとき

神さまに逆らって言いました「神は荒野に宴を設けることができるだろうか。神はまた

パンを与えることができるだろうか」(詩篇78:19)神さまが荒野に水を湧き出させる

ことができるのかと言って、神を侮り、神をこころみたのです。彼らがいかに不信仰で

あったかということです。神さまは言われました「あなたはホレブの岩の前に立ちなさ

い。あなたがナイル川を打った、つえをもってその岩を打ちなさい。水が岩から出て、

民はそれを飲むことができる」モーセは岩を打ちました。すると、岩の中から水が出て

きて、人々は飲むことができました。岩から水が出る、これはイエス・キリストの十字

架を意味する事件です。「みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すな

わち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならな

い」(Ⅰコリント10:4)

岩から水が出る、イエス・キリストの十字架から流れる、いのちの水。私たちはこのいの

ちの水をいただくことによって生かされ、癒されるのです。