2020、3、15       受難節第3主日礼拝        牧師 川﨑善三

「命のパン」                        ヨハネ6:52~69

パンの奇跡を行われたイエスさまの所に、群衆は殺到しました。そして、カペナウムに

おられたイエスさまの所に、人々はやってきました。イエスさまは言われました「よく

よくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見

たためではなく、パンを食べて満腹したからである」(ヨハネ6:26)彼らは、肉の糧を

求めていました。この地上における生活の中での祝福を求めていたのです。しかし、イ

エスさまが私たちに与えようとしておられたものは、霊の糧でした。今日も、世の人々

は肉の糧を求めています。衣食の問題、生活の問題の解決を求めているのです。

その事に対して、イエスさまは何を求めるべきかを話そうとされました。「よくよく言っ

おく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパ

ンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである」イエスさまは、モーセに率いら

れてエジプトを出た人々が荒野で与えられたパン、すなわちマナのことを話し出されま

した。あなたがたは、モーセは偉かった、彼が人々に食べ物を与えてくれたと言ってい

るが、「天からのパンをあなたがたに与えたのは、わたしの父なのである」とイエスさま

は言われました。私たちは、人を見てしまいます。しかし、本当に見なければいけない

のは、神さまです。神さまがどのようなお気持ちで、天からの食べ物を与えてくださっ

たかを悟るべきです。そして、「わたしは天から下ってきたパンである」と言われたので、

人々はつまずき、つぶやき始めました。つぶやくと言うことは、イエスさまの言葉に対

する不満に基づく不信であり、非難であります。人々はこう言いました「わたしはこの

人のことを知っている。この人はヨセフの息子ではないか。その母はマリヤで、その兄

弟たちも知っている」この人々は、イエスさまの出自や出身については知っていたでし

ょう。しかし、イエスさまが神からつかわされた御方、救い主キリストであると言うこ

とを信じることができなかったのです。「わたしは命のパンである。天から下ってきたパ

ンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。

それを食べる者は、いつまでも生きるであろう」イエスさまは、自分をパンであると言

われ、そのパンを食べる人は永遠の命を与えられ、いつまでも生きることができると言

われたのです。

「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、またその血を飲まなければ、あなたがた

の内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わた

しはその人を終りの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ6:53)イエスさまの肉を食

べ、血を飲むということは、イエスさまの十字架の贖いを信じるという事です。そして、

イエスさまとひとつになるという事です。キリストの肉と血とを味わうとき、その命に

あずかることができるのです。イエスさまがよみがえられたように、私たちもよみがえ

って永遠の命をいただくことができるのです。イエスさまは今日も、わたしの肉を食べ、

わたしの血を飲みなさいと言われます。