2020、5、3       復活節第4主日礼拝        牧師 川﨑善三 

「互いに愛し合いなさい」                  ヨハネ15:1~12

イエス・キリストの十字架によって、神の愛が現わされました。イエスさまは十字架に

かかられる前の日の夜、弟子たちと最後の晩餐の時を持たれました。その時、イエスさ

まは弟子たちにこう言われました。「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過

越の食事をしようと、切に望んでいた」(ルカ22:15)弟子たちとの最後の食事、それ

はイエスさまにとって記念すべき時でありました。イエスさまは、この時が来るのをど

んなに待ち望んでいたかと、感慨深く言われたのです。そのとき主はパンをとり、感謝

してこれをさき、弟子たちに言われました「これは、あなたがたのために与えるわたし

のからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」また、食事ののち、

杯も同じ様にして言われました「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で建て

られる新しい契約である」こう言われて、これから後、このようにして聖餐式を行い、

わたしの十字架の死を思い起しなさいと、イエスさまは言われたのです。このことは、

マタイ、マルコ、ルカ福音書に書かれています。ところが、ヨハネ福音書には別の事が

記されているのです。                       「過越の祭の

前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世

にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」(ヨハネ13:1)イエスさ

まは、十字架ののち、よみがえってこの世を去り、父のみもとに帰るときが来たという

ことを知っておられました。そして、自分を信じて従ってきた者たちを最後の最後まで、

愛して下さいました。その中には、イスカリオテのユダも含まれていたのです。

イエスさまは食事の始まる前に、席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを腰に巻き、

それから水をたらいに入れて、弟子たちの足をひとりひとりていねいに洗って下さいま

した。そして、腰に巻いた手ぬぐいで足をふいて下さいました。そして、ペテロの番が

廻ってきました。ペテロは言いました「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのす

か」「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになる

だろう」ペテロは、やがて教会の指導的立場に立ったときに、イエスさまが足を洗って

下さったことの意味がわかるようになりました。イエスさまは、世にいる自分の者たち

を愛して彼らを最後まで愛して通されたということは、彼らの足を洗って下さったとい

う事によって示されたのです。人を愛するということは、人の足を洗うということです。

イエスさまは、そうすることによって弟子たちを愛していることをお示しになりました。

 

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、

またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(ヨハネ1

5:5)イエスさまはぶどうの木です。わたしたちはその枝です。枝はその木につながって

いて、葉が茂り、花が咲き、実を結びます。つながっていなければ、実を結ぶことはでき

ません。私たちがイエスさまにつながっているならば、イエスさまの愛が私たちのうちに

流れ込んできます。そして、その愛の樹液によって、私たちは愛の人に造りかえられてい

くのです。