2020、8、30      聖霊降臨節第14主日礼拝      牧師 川﨑善三

「命の光」                        ヨハネ18:12~20

  使徒ヨハネは、こう言いました「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神

の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得

るためである」(ヨハネ20:31)ヨハネ福音書は、イエスさまが神からつかわされた方で

あり、神の子であることを証しするために書かれたということです。

さて、イエスさまはご自分のことを証して、こう言われました「わたしは世の光である」。

イエスさまは、信じる人々に「あなたがたは世の光である」(マタイ5:14)と言われまし

た。イエスさまが「世の光」であられるので、私たちもイエスさまから「光」をいただい

て、世を照らす役割を担っているという事です。イエスさまは、神の子であることを証す

るために、いろいろな言葉を用いられました。「わたしは門である。わたしをとおってはい

る者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」(ヨハネ10:9)「わたしは道で

あり、真理であり、命である。だれでも、わたしによらないでは、父のみもとに行くこと

はできない」(ヨハネ14:6)

それでは、どんな時に「わたしは世の光である」と言われたのでしょうか。それは仮庵

の祭のときであります。イエスさまは、神の宮でこの話をされました。「イエスが宮の内

で教えていた時、これらの言葉をさいせん箱のそばで語られたのであるが、イエスの時

がまだきていなかったので、だれも捕える者がなかった」(ヨハネ8:20)使徒ヨハネは、

その時のありさまを、なつかしく思い出すかのように、イエスさまは、この話を宮のさ

いせん箱のそばでお話になったと証言しています。さいせん箱は聖所の一番外側、女性

と異邦人が礼拝する場所にありました。このことから、イエスさまは女性たちに福音を

お語りになっていました。

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の

光をもつであろう」(ヨハネ8:12)すると、パリサイ人たちが言いました「あなたは自分

のことをあかししている。あなたのあかしは真実ではない」聖書は、ふたりによる証言は

真実だと書いてありました。イエスさまは「わたし自身のことをあかしするのは、わたし

であるし、わたしをつかわされた父も、わたしのことをあかしして下さるのである」と言

われました。すなわち、父なる神と子なるキリストの証であるから、真実であると言われ

たのです。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者はやみのうちを歩くことがなく、

命の光をもつであろう」この世では、一寸先は闇と言われます。次の瞬間、何が起こるか

わからないと、人は言います。しかし、イエスさまを信じる私たちは、一寸先は闇と言う

ような不安の中を生きているのではありません。わたしたちの足もとを照らしてくれる光

を持っているからです。「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」

(ヨハネ1:5)わたしたちは、この世で生きていくにあたって、いつもイエスさまによって

勝利することができるのです。