2021、1、10        降誕節第3主日礼拝       牧師 川﨑善三

「神の御霊が」                       マタイ3:13~17

 イエスさまは、神の御子であられました。すなわち、ひとり子なる神であられました。

ところが、この地上においては神の子としての特権を捨て、ひとりの人間としての生涯を

送られたのです。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべ

き事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられ

た」(ピリピ2の6、7)子なる神が人間になられたというだけでも大変なことなのに、イエ

スさまは僕として、わたしたちに仕え、わたしたちの足を洗ってくださったのです。今日

の聖書箇所もそのことが現されています。

 イエスさまの公けの生涯が始まろうとしていました。イエスさまが活動を始められる前

に祭司ザカリヤの子ヨハネがユダヤの荒野に現れ、人々に語って言いました「悔い改めよ、

天国は近づいた」(マタイ3:2)ヨハネは、人々に罪の悔い改めを迫りました。ヨハネの言葉

を聞いて、大勢の人々が罪を告白し、バプテスマを受けていました。このヨハネは旧約聖

書の預言者イザヤの預言の成就として、神から遣わされた人でした。「荒野で呼ばわる者の

声がする『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」ヨハネは自分の役割を知ってい

ました。「わたしは救い主が来られる前に、その道備えをする者である」とわかっていたの

です。エルサレムからつかわされた人々は、ヨハネに尋ねました「あなたはどなたですか」

その人々は、ヨハネが救い主ではないかと思っていたのです。ヨハネは「わたしはキリス

トではない」と言いました。彼は、こう言ったのです「わたしは荒野で呼ばわる者の声で

ある」。わたしは「声」に過ぎないと言っている所に、ヨハネという人がどんなに謙遜な人

であるかがわかります。ですから、イエスさまはヨハネのことを賞賛して言われました「女

の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネよりも大きい人物は起らなかった」(マタイ11:1

0)さて、イエスさまはヨルダン川でバプテスマを授けているヨハネの所に来て、バプテス

1)マを受けようとされました。ヨハネは、すでにイエスさまがキリストであることを示さ

2)れていました。ヨハネは言いました「わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるはず

3)ですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」神の御子イエスと、ヨハ

4)ネの立場は、神と人との立場とみることができます。人が、神の子イエスにバプテスマ

5)を授けるのは逆でありませんかとヨハネは言ったのです。ところが、イエスさまは言わ

6)れました「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するの

7)は、われわれにふさわしいことである」イエスさまは、ここで、ひとりの人間としてヨ

8)ハネからバプテスマを受けようとしておられたのです。子なる神が人となり、わたした

9)ちのところに来て下さいました。そして、ひとりの人間として、ヨハネからバプテスマ

10)をお受けになったのです。イエスさまは、水から上がられてお祈りしておられると、

11)天が開け、神の御霊がはとのように、ご自分の上に下ってくるのをごらんになりまし

12)た。そして、天から声がありました「これはわたしの愛する子、わたしのこころにか

なう者である」このお言葉を、わたしたちもいただきましょう。