2021、2、28       受難節第2主日礼拝       牧師 川﨑善三

「休ませてあげよう」                  マタイ11:20~30

 バプテスマのヨハネは、獄中でイエスさまのうわさを聞きました。ヨハネは、イエスさ

まがキリストであることを証した人でしたが、この時は懐疑的になっていました。本当に

そうなのだろうかと思い始めたのです。長い間の獄中生活が、彼の信仰に影響を与えてい

たのです。ヨハネは自分の弟子たちをイエスさまのもとにつかわして尋ねました「『きたる

べきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」ユダヤ

人が待ち望んでいるメシヤは、あなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待たなけれ

ばならないのですかと尋ねたのです。イエスさまがキリストであるなら、ただちに神の国

が建てられ、イスラエルの国がローマから独立できると思っていたのです。ところが、イ

エスさまの活動はガリラヤ地方にとどまっていたのです。

 イエスさまは答えて言われました「あなたがたは、ヨハネの所にもどって見聞きしたこ

とを報告しなさい。目の不自由な人は見えるようになり、足の不自由な人は歩けるように

なり、重い皮膚病の人はきよくなり、耳の不自由な人は聞こえるようになり、死人は生き

返り、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」

イエスさまの言葉は、預言者イザヤの預言した言葉そのままでした。イザヤは、救い主が

来られたならば、このような素晴らしい恵みのわざが行われると預言したのです。イエス

さまは、このような亊を行っているわたしはメシヤであると言われたのです。

 ヨハネの弟子たちが帰ったあと、イエスさまは、コラジン、ベツサイダ、カペナウムの

町の名をあげて、彼らの不信仰と悔い改めない、かたくなな心を責めて言われました「わ

ざわいだ、コラジンよ。わざわいだ、ベツサイダよ。おまえたちのうちでなされた力ある

わざが、もしツロとシドンでなされたら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって

悔い改めたであろう」コラジン、ベツサイダは、イエスさまの伝道拠点であるカペナウム

の近くにあった町です。イエスさまが、力あるわざを現わされたのに、町の人々は神さま

の前に罪を認め、悔い改めようとはしなかったのです。ペテロはイエスさまの行われた恵

みのわざを見て悔い改めました。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者で

す」(ルカ5:8)コラジン、ベツサイダ、カペナウムの町の人々も、イエスさまの力あるわざ

を見たはずです。しかし、彼らはイエスさまを信じることをせず、罪を悔い改めることを

しなかったのです。それは、彼らが幼な子のような素直な心を持つことができなかったか

らです。幼な子のような心で、イエスさまのしておられることを見ることができるなら、

悔い改めて神さまを信じることができるはずです。「天地の主なる父よ。あなたをほめたた

えます。これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいまし

た」と言われるイエスさまの言葉は、そういう意味です。

 イエスさまは言われます「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきな

さい。あなたがたを休ませてあげよう」イエスさまは、わたしたちに言われます「わたし

のもとにきなさい」と。