2021、3、14      受難節第4主日礼拝      牧師 川﨑善三

「イエスの変容」                    マタイ17:1~13

 

「あなたこそ、生ける神の子キリストです」ペテロは、わたしはだれであるかとイエスさ

まに尋ねられた時、そう答えました。すると、イエスさまは、この時から自分が必ずエル

サレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三

日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられました。しかし、このイエスさ

まの言葉を理解し、信じることのできた弟子は、ひとりもいませんでした。ペテロもその

ひとりでした。彼はイエスさまをわきへ引き寄せて、いさめはじめ「主よ、とんでもない

ことです。そんなことがあるはずはございません」と言いました。弟子たちが思い描いて

いたキリストと、全く違うことをイエスさまがおっしゃったからです。弟子たちは、キリ

ストはユダヤ人の王となり、ローマ帝国から独立し全世界を統べ治める御方として、私た

ちの所に来て下さると思っていたからです。王として来られるキリストと、僕となって十

字架に殺されるキリストとの違いは、あまりにも大きいものでした。だから、イエスさま

が、わたしは祭司長たちによって殺されると言われた時、彼らは到底信じることができな

かったのです。人は自分の見たいものだけを見ようとします。自分の見たくないものは目

をそむけてしまうのです。ですから、イエスさまが殺されると言うことは信じがたい事だ

ったのです。

 「それから六日ののち」、イエスさまはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネを連れて、

高い山に登られました。この三人は、何か重要なことが起こる時の証人として選ばれた三

人でした。事柄が重大であればあるほど、多くの人にそのことを表すことが害となる場合

があります。この時の出来事も、ごく少数の者にしか示されなかったのだと言えます。イ

エスさまは、祈るために高い山に登られました。そして、祈っている間に、その姿が変わ

っていかれたのです。その顔が日のように輝き、その衣は光のように白くなりました。す

ると、モーセとエリヤが現れて、イエスさまがエルサレムで遂げようとする最後のことに

ついて語っていました。ペテロはそれを見て、驚き、喜ぶと共に興奮して言いました「主

よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、

わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、

一つはエリヤのために」イエスさまとモーセとエリヤ、この偉大な三人のために、この所

に小屋を建てて永遠に記念すべき場所として残しましょうと言ったのです。ペテロがこの

ことを言い終わらないうちに、輝く雲が彼らをおおいました。そして、雲の中から声がし

ました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」

 弟子たちは、何故このような経験をしたのでしょうか。これは、イエスさまが十字架に

かかり死んで、三日目によみがえられた時に、はじめて悟ることのできる奥義であったの

です。「わたしたちがそのご威光の目撃者なのだからである」(Ⅱペテロ1:16)このイエス

さまが再臨して下さるときがあると、ペテロは言っています。その時、私たちもイエスさ

まと同じ栄光の姿に変えていただけるのです。感謝です。