2021、4、11       復活節第2主日礼拝       牧師 川﨑善三

「エマオへの道で」                     ルカ24:13~32 

イエスさまが死んでしまわれたので、弟子たちは散り散りになっていきました。そうし

たグループの中のふたりが、エマオと言う村に向かっていました。このふたりに、よみ

がえられたイエスさまが近づき、彼らと一緒に歩いて行かれました。ふたりは、話に熱

中していました。彼らは、その日の朝の出来事を女たちから聞いていたからです。

よみがえられたイエスさまは、彼らと歩調をあわせて歩いておられました。ところが、

彼らの目がさえぎられて、その人がイエスさまだとはわかりません。彼らの不信仰が彼

らの目をさえぎっていたのです。それと共に、よみがえられたイエスさまの御姿が、彼

らの知っているイエスさまと違っていたということです。マグダラのマリヤも同じ経験

をしました。「彼らはマリヤに『女よ、なぜ泣いているのか』と言った。マリヤは彼らに

言った『だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたか、わからな

いのです』そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。

しかし、それがイエスであることに気がつかなかった」(ヨハネ20:13、14)マリヤが

気がつかなかったのは、イエスさまの御姿が彼女の知っているイエスさまと違っていた

からです。

イエスさまはふたりの弟子たちと共に歩いて行かれました。そして、声をかけて言われ

ました「歩きながら互いに語り合っているその話は、なんのことなのか」クレオパと言

う人が答えて言いました「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、こ

の都でこのごろ起こったことをご存じないのですか」イエスさまが十字架で死んだとい

う出来事が、エルサレム中に広まっていて、誰一人として知らない者はないはずだとク

レオパは言っているのです。「それは、どんなことか」「ナザレのイエスのことです。あ

のかたは、神とすべての民衆との前で、力ある預言者でした。ところが祭司長たちや役

人たちが、死刑に処するためにローマ人に引き渡し、十字架につけて殺してしまいまし

た。私たちは、イスラエルを救って下さるのはこの方であろうと望みをかけていました。

しかし、死んでしまわれたのです。ところが、今日私たちの仲間である数人の女たちが、

私たちを驚かせるような事を言ってきたのです。彼らが墓に行くと、イエスさまのから

だが見当たらないので帰ろうとしたのですが、そのとき御使が現れて『イエスは生きて

おられる』と言ったのです。それで、わたしたちの仲間の数人が墓に行ってみると、女

たちの言ったとおり、イエスさまのお体が見当たらなかったのです」悲しみと失望、恐

れと喜びが交錯しているのがわかります。彼らは、イエスさまがよみがえられたと言う

ことが信じがたい出来事であったのです。イエスさまの復活は重大事件であり、今も昔

も信じがたい出来事であるのです。「パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられる

うちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった」弟子たちは、最後の

晩餐のとき、イエスさまが聖餐式を制定されたのを思い出したのです。十字架を見上げ

る時に、復活の主のお姿が見えるのです。