2021、4、25       復活節第4主日礼拝        牧師 川﨑善三

「イエスはよみがえり」                   ヨハネ11:17~27

 「さて、ひとりの病人がいた。ラザロといい、マリヤとその姉妹マルタの村ベタニヤの

人であった」(ヨハネ11:1)マルタとマリヤが聖書に登場するのは、この時が初めてではあ

りません。ルカ福音書10章38節に、このふたりの女性が登場するのが最初です。その

時、印象深い出来事がありました。マルタとマリヤは、イエスさまが村に来られたので、

すすんでイエス様一行を自分の家に迎え、心いっぱいのおもてなしをしました。イエスさ

まは、このような愛のあふれる接待を喜んで受けいれて下さいます。マルタは、この時と

ばかり腕をふるって、イエスさまと弟子たちのために料理を作ったり、飲み物を用意した

りして力いっぱい働きました。やがて、マルタは接待のことで忙しくして、心を取り乱し

てしまいました。そして、イエスさまの所にきて言いました「主よ、妹がわたしにだけ接

待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹に

おっしゃってください」ふつうならば、マルタはそんなことを、イエスさまに言うような

ことをしなかったでしょう。ところが、この時マリヤがイエスさまの足元にすわりこんで、

イエスさまの話を嬉しそうに熱心に聞き入っているのを見て、腹をたてたのです。それで、

そんなことを言ったのです。

 イエスさまは言われました「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思

いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マ

リヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものであ

る」イエスさまの喜ばれることは接待ではなく、イエスさまのお言葉を聞くことでした。

マリヤは良い方を選びました。それは、私たちにとっても大事なことであると、イエスさ

まは言われます。まず、御言を聞くところから、私たちの信仰が始まります。

このような話を知っているということを前提として、ヨハネ福音書11章の出来事が話

し始められます。マルタとマリヤは、使の者をつかわして言いました「主よ、ただ今、

あなたが愛しておられる者が病気をしています」イエスさまはそれを聞いて言われまし

た「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれ

によって栄光を受けるためのものである」イエスさまは弟子たちに、また、まわりにい

る人々に宣言するようにして言われたのです。そう言って、そのおられた所に、なおふ

つか滞在し、それから弟子たちに「もう一度ユダヤに行こう」と、ベタニヤ村に向かっ

て行かれました。イエスさまが行ってごらんになると、ラザロは死んで、すでに四日が

過ぎていました。マルタは言いました「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、

わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになって

も、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」イエスさまは言われま

した「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生

きる」 わたしはよみがえらせる力を持つ者であると、イエスさまは言われたのです。
わたしたちもよみがらせていただけるのです。