2021、5、30     聖霊降臨節第2主日礼拝       牧師 川﨑善三

「安息日問題」                       マタイ12:1~16

 イエスさまの宣教活動に休みの日はありませんでした。ところが、パリサイ人たちは律

法を守ることに熱心であり、安息日にしてはならないという戒めにこだわっていました。

そこで、イエスさまとパリサイ人の間に、安息日問題が生じてきました。

 ある安息日に、イエスさまは麦畑の中を通っておられました。すると、弟子たちは穂を

摘んで、手でもみ食べ始めました。律法によれば、他人の麦畑に入り穂を摘んで食べるこ

とは許されていました。収穫の折には、わざわざ穂を落とし、寄留の人々や、やもめに与

えるように決められていました。落穂をひろう話が、ルツ記にあるのはその良い例です。

ところが、弟子たちがその麦を食べるのに、手で揉むという行為が労働にあたり、安息日

を破るものだとパリサイ人は、イエスさまに訴えたのです。「ごらんなさい。あなたの弟子

たちが、安息日にしてはならないことをしています」それに対して、イエスさまは旧約聖

書を引用して、彼らに答えて言われました「あなたがたは、ダビデとその供の者たちとが

飢えたとき、ダビデが何をしたか読んだことがないのか。すなわち、神の家にはいって、

自分も供の者たちも食べてはならぬ供えのパンを食べたのである」ダビデはサウル王の殺

意を知り、王のもとを逃げ出しました。その折、祭司アヒメレクの所に行き「パンが五個

でもあれば、それをわたしにください。なければなんでも、あるものをください」と言い

ました。祭司は、祭壇から取り下げたこのパンを差し上げましょうと言って、祭司のほか

食べてはならないパンをダビデに与えてくれたという話です。イエスさまは聖書に精通し

ておられました。ですから、パリサイ人の訴えに的確にお答えになることができたのです。

「あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる」キリストは、神の宮より

も大いなる御方です。神さまは、人の手によって造った宮に住んではおられません。神は

キリストのうちに住んでおられます。ユダヤの民は、神の宮で神に近づいていました。ク

リスチャンは、キリストによって神に近づくことができるのです。そして、イエスさまは、

こう言われました「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではないとは、どうい

う意味か知っていたら、あなたがたは弟子たちの行いを責めたりしなかったであろう。人

の子は安息日の主である」わたしこそが安息日を定めた者であり、その運用をあわれみに

よって適用する者である。そう言って、イエスさまは、弟子たちの行為を弁護してくださ

ったのです。また、その日、片手のなえた人を癒してくださいました。

 これらの話を通してわかるとは、パリサイ人たちは、表面的に安息日を守っていれば、

神さまに義としていただけると思っていたことです。しかし、イエスさまは表面的に正し

くあっても、その心にあわれみがなければ、神に喜ばれることはできないし、義と認めら

れないと言われたのです。「信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あな

たがたが愛に根ざし、愛を基として生活することにより」(エペソ3:17)キリストを心の内

に宿すと言うことは、愛に満たされるということです。愛によって生きる者となりましょ