2021、6、20      聖霊降臨節第5主日礼拝       牧師 川﨑善三

「人に見せようとするな」                     マタイ6:1~8

 ユダヤ人は、神さまの前に義とされることを心から望んでいました。そのために、自分の

義を人に見せるようなことを行っていました。それが信仰的に良いことだと思っていたの

です。しかし、イエスさまは、パリサイ人たちの行いにあらわれた偽善を注意しなしさい

と言われました。偽善という語は、俳優という意味の言葉です。悲しいことはないのに悲

しみ、喜ぶことができないのに喜ぶという演技をすることであります。

「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするよう

に自分の前でラッパを吹きならすな」(マタイ6:2)当時のユダヤ人たちは会堂や町中でラッ

パを吹きならして、今から施しをしますと人々に知らせたのです。人の前でほめられるた

めに、良い行いをしたならば、その報いは受けてしまっていると、イエスさまは言われた

のです。「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。それは

あなたのする施しが隠れているためである」(マタイ6:3、4)この世において、良い行いを

してもそれを人らに知らせない生き方をする人には、神の報いがあるとイエスさまは言わ

れます。「また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人らに見せようとして、会

堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けて

しまっている」(マタイ6:5)イエスさまは、施しという行為にあらわれる偽善を指摘されま

した。それと共に、祈りと言う行為にも偽善があると言われるのです。

ある時、ふたり人が祈るために宮に上りました。そのひとりはパリサイ人であり、もう

ひとりは取税人でした。パリサイ人は立って、ひとりでこう祈りました「神よ、わたし

はほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税

人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入

の十分の一をささげています」ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけよう

ともしないで、胸を打ちながら言いました「神様、罪人のわたしをおゆるしください」。

イエスさまは言われました「神に義とされて自分の家に帰ったのは、取税人であって、パ

リサイ人ではなかった」自分がいかに優れているかを自慢する者は、神さまに受け入れ

られることはないと言われたのです。「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じ

て、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられ

るあなたの父は、報いてくださるであろう」(マタイ6:6)父なる神は、隠れたところにい

らっしゃいます。心の繰り下った者、悩み悲しむ者は、隠れた所におられる神にお会い

かすることができますが、偽善者や心高ぶる者には、ご自身を現わしてくださいません。

 私たちの生き方が、どうあるべきかが教えられます。人に褒められようとして人の前に

生きるのか、それとも神の誉れを得るために、神の前に生きるのか。わたしたちはどち

らを選ぶのですか。