2021、10、31     降誕前第8主日礼拝       牧師 川﨑善三 

「自らすすんで」                   マタイ26:31~46

 イエスさまから、一切れの食物を受けとったユダはその部屋から出ていきました。イエ

スさまを祭司長たちに引き渡すために、彼らの所に行ったのです。最後の晩餐の後、イエ

スさまと弟子たちは、オリブ山に出かけていきました。そのとき、イエスさまは、これか

ら起こるべきことが弟子たちの信仰を試す出来事となることを知って言われました「今夜、

あなたがたは皆わたしにつまずくであろう。『わたしは羊飼を打つ。そして、羊の群れは散

らされるであろう』と書いてあるからである」イエスさまが祭司長たちに捕えられて、弟

子たちは散らされると言われたのです。すると、ペテロは言いました「たとい、みんなの

者があなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」ペテロは、イエスさまを愛

する愛が、他の弟子たちよりもたくさんあると思っていました。ですから、他の弟子たち

がつまずいて、イエスさまを見捨てて逃げたとしても、わたしは絶対いたしませんと言っ

たのです。しかし、イエスさまは言いました「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く

前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」

 イエスさまは弟子たちと共にゲッセマネと言う所に行かれました。そこは、イエスさま

がエルサレムに滞在している間、必ずと言っていいぐらい、お祈りに行かれる所でした。

ですから、イスカリオテのユダもその場所を知っていて、祭司長たちの下役たちを連れて

いくことができたのです。イエスさまは、ゲッセマネの園に着かれると、ペテロとゼベダ

イの子ヤコブとヨハネを伴って、園の奥に進んでいかれました。その時、弟子たちにこう

言われました「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一

緒に目をさましていなさい」イエスさまにとって、十字架の死は肉体的な苦しみであると

共に、神さまとの交わりが絶たれる時であり、それは精神的に大きな苦しみを経験する時

でした。そのことを想像するだけで、心が張り裂けるような悲しみが押し寄せてきていた

のです。イエスさまは祈られました「父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわ

たしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのま

まになさってください」それから、弟子たちの所にもどってこられました。すると、彼ら

は眠っていました。「誘惑に陥らないように目をさまして祈っていなさい」また、二度目に

行って祈られました。「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこ

ころが行われますように」十字架を受け入れるより他に、道がないことを自覚されたので

す。また、弟子たちの所に来て彼らをご覧になると、彼らはまた眠っていました。それで、

彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られました。「みこころが行わ

れますように」すべてを神さまにおまかせしますと祈られたのです。そして、「弟子たちの

所に帰って言われました「見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、

さあ行こう」イエスさまは、人から強いられて、十字架に向かわれたのではありません。

自らすすんで、さあ行こうと立ちあがられたのです。