2022、1、23             降誕節第5主日礼拝      牧師 川﨑善三

「宣教の開始」                    マルコ1:32~45

 イエスさまは、ヨハネから洗礼をお受けになられてすぐに、御霊によって荒野に導

かれました。五人の弟子と出会う前の出来事であったようです。「四十日四十夜、断食

をし、そののち空腹になられた」(マタイ4:2)四十日の間、神さまとの祈りの時を持

たれたのです。やがて、その期間が過ぎ、イエスさまは空腹をおぼえられました。す

ると、悪魔がやってきて、イエスさまを誘惑して言いました「もしあなたが神の子で

あるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」神の子であるなら、

あなたは石をパンにする力を持っておられるでしょう。今こそ、その力を用いる時で

はないのですかと言う誘惑です。しかし、イエスさまはこう言われました「『人はパン

だけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書

いてある」。確かに、わたしは神の子である。しかし、神の子の持っている力を用いて、

空腹を満たすことはしません。それは神の御心に反することであるからです。悪魔は

宮の頂上から飛びおりてごらんなさいと言いました。また、世界中の栄耀栄華を見せ

て、わたしを拝みなさいとも言いました。しかし、イエスさまはそれらのことは皆、

神の御心にそむくことであり、御言葉にもそれらのことをしてはいけないと書いてあ

りますと言われました。悪魔の誘惑を退けられたのです。「そこで、悪魔はイエスを離

れ去り、そして、御使がみもとにきて仕えた」(マタイ4:11)誘惑はやってきます。

しかし、神の御言葉によって誘惑を退けるならば、天使がわたしたちの所にきて、わ

たしたちを守ってくれるのです。

それから、イエスさまはカペナウムに行き、安息日に会堂にはいって聖書をひもとき、

人々に神さまの御心はこう言うことですよと教えられました。人々は、イエスさまの

教えに驚きました。その教えは律法学者たちの言う、かたぐるしい教えではなく、わ

たしたち人間に対する神さまの愛を悟らせるものでした。まるで、神さまご自身が人々

に語りかけておられるように、みんなが感じました。ちょうど、その時汚れた霊につ

かれた者か、その場にいて叫んで言いました「ナザレのイエスよ、あなたはわたした

ちとなんの係わりがあるのです。あなたがどなたであるか知っています」汚れた霊は

こんな事も言いました「わたしたちが滅ぼされる時は、まだ来ていません」イエスさ

まは汚れた霊を叱って「黙れ、この人から出ていけ」と言われました。イエスさまの

癒しは、病人の癒しだけにとどまらず、汚れた霊にとりつかれていた人々を癒して下

さったと言う特徴があります。

イエスさまは弟子たちに言われました「ほかの、付近の町々にみんなで行って、そこ

でも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」私たちは、キリスト

の教えを宣べ伝えるために救われたのです。私たちはイエスさまのことを知らない

人々に福音を宣べ伝えていきましょう