2022、2、6       降誕節第7主日礼拝        牧師 川﨑善三 
 
「神の国の奥義」                        マルコ4:1~1

 イエスさまのガリラヤ伝道の絶頂期のことです。おびただしい群衆がみもとに集まっ

てきました。イエスさまは舟に乗って海上におられました。群衆は海に沿って陸地にい

ました。イエスさまは舟の中から彼らにお語りになりました。「種まきが種をまきに、畑

に出ていきました。ある種は道ばたに落ちました。すると、鳥がやってきて食べてしま

いました。ある種は石地に落ちました。この種は、すぐ芽を出しましたが、土のうすい

所だったので、日が上ると枯れてしまいました。ある種はいばらの中に落ちました。す

ると、いばらが伸びてきて、種の成長をふさいでしまったので実を結ぶことができませ

んでした。ある種は良い地に落ちました。この種は順調に育っていき、実を結びました。

三十倍、百倍の実を結びました。そして、イエスさまは言われました「聞く耳のある者

は聞くがよい」このたとえについて、もっと知りたいと思う人はその真理を探究しなさ

いと言われたのです。この話を聞いた群衆の反応は様々でした。大多数の人は、このた

とえについて、なんの反応も示さず家に帰って行きました。しかしも、中にはこの譬に

ついて、どういう意味ですかと尋ねた人々がいました。それが、十節のお言葉です。「イ

エスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬につい

て尋ねた」イエスさま、さきほどお話になった、種まきのたとえはどういう意味ですか

と尋ねたのです。イエスさまは譬について、解き明かして下さいました。

 種は、神のことばです。種まきは、神のことばを宣べ伝えるあなたがたのことです。

あなたがたは、いろいろな所で神の言葉を語るでしょう。しかし、その働きがいつも実

を結ぶわけではありません。ある人は道ばたのような心であり、ある人は石地であり、

ある人はいばらの地であり、そして、良い地に種がまかれることもあるでしょう。そし

て、道ばたの心のような人、石地の心、いばらのしげる心の人は、実をみのらせること

がありません。このように、神の国の教えは、その人の心の状態によって実を結ばせる

ことができるか否かが決まるのですとイエスさまは言われたのです。

 イエスさまのこの教えは、わたしたちの伝道が時として進まない場合の慰めとなりま

す。わたしたちは、これまで伝道の成果が上がらないということを、たびたび経験して

きました。また、種が良い地に蒔かれたとしても、実をむすぶまでは忍耐して待つこと

が必要です。神さまの働きは、最初は小さいものです。からし種のように、小さいので

す。しかし、大きくなると、空の鳥がきて、巣をつくるほどになりますとイエスさまは

言われました。わたしたちの伝道の働きは、ごくごく小さいものです。しかし、望みを

持って種をまき続けるならば、やがて豊かな実を結ぶときがやってきます。

「堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、

あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである」

(Ⅰコリント15:58)わたしたちは、聖書を通して、神の国の奥義を知ることができま

す。いつも、聖書をひもといて、主の教えに耳を傾けてまいりましょう。