2022、2、13       降誕節第8主日礼拝       牧師 川﨑善三          

「神の国は」                                             マルコ4:26~34

わたしたちが、神の国の奥義を悟るために特別な学びが必要であるとは、イエスさまは言われませんでした。イエスさまはこう言われたのです。「だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」(マルコ10:15)イエスさまの所に来る人は大勢いました。その多くは病の癒しを求めてきました。また悪霊を追い出してもらった人もいました。マグダラのマリヤは、七つの悪霊に取りつかれていたのを癒されて、熱心に弟子になりました。しかし、その大部分は恵みを受けただけで、イエスさまを信じる信仰にまでは至りませんでした。イエスさまは、そのような人の心の状態をよく知っておられたので、多くのことを譬でお話しになったのです。

「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育っていくが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」(マルコ4:26、27)イエスさまは、ナザレの村で農耕に励む人々の働きをじっくりと観察しておられました。イエスさまの譬に、種まきの話がよく出てくるのはそのためです。イエスさまは、地に蒔かれた種が、どのように成長していくかを、よくご覧になっておられました。蒔かれた種は、すぐには芽を出しません。しかし、二、三日良い天気がつづきますと、四日目ぐらいになると、ひょこっと芽を出します。そして、茎が出て、葉が茂り、穂が出て、穂の中に実が豊かにみのります。これが、実がみのるまでの種の一生です。しかし、人は、どうしてそうなるのか知りません。命がそのうちに宿り、それが芽を出して成長していくのを見ることができても、どうして、そうなるのか知らないとイエスさまは言われたのです。わたしたちの信仰についても同じことが言えると思います。わたしたちの信仰がどのように成長していくのかを、わたしたちはわかっているわけではありません。しかし、イエスさまは豊かに実を結ぶためには、どうすればよいかについて教えて下さいました。「わたしはぶどうの木、あなたかだはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(ヨハネ15:5)種がわたしたちのことだとすれば、その種の中に命がなければ成長しません。そして、実を結ぶために命の源であるキリストにつながっていなければ、豊かに実を結ぶことはできません。その成長がどのように進んでいくかについては、誰も知ることができないのです。ある人の信仰は一年、二年であってもすばらしく成長する人がいます。五年、十年たっても、成長の度合いの遅い人もいます。それぞれが、神さまの恵みによって成長するのですから、その速度については気にする必要はありません。ただ、イエスさまにしっかりとつながっているかどうかです。

神のことばは、命を宿しています。わたしたちが信じて、そのお言葉を内に宿し、成るまで得るまで、そのお言葉を信じていくときに奇跡が起るのです。神さまからいただくお言葉を大事にして