2022、2、27          降誕節第10主日礼拝        牧師川﨑善三

「風はやんで」                      マルコ4:35~41

ガリラヤ湖の周辺で、イエスさまは福音を宣べ伝えておられました。この日は大勢の群衆に舟の中からお話しされた一日でした。イエスさまは、この時、種まきのたとえを話されました。道ばたに落ちた種、石地に落ちた種、いばらの中に落ちた種、そして、良い地に落ちた種はどうなったかについて話されたのです。

話がすんで、夕方になるとイエスさまは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われました。弟子たちと他の何人かが、舟にのってガリラヤ湖の対岸を目指したのです。ガリラヤ湖は、大きさについて言いますと、南北21キロメートル、東西13キロメートルにおよぶ大きな湖で、琵琶湖の四分の一ほどの大きさになります。舟に乗り込んだ、イエスさまと弟子たちは、この日恐ろしい経験をしました。ガリラヤ湖に乗り出すと、いきなり突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟が沈みそうになりました。水が舟の中にあふれてきて沈みそうになったのです。嵐にあった舟が沈没して、乗組員が死ぬという出来事があるのは、こんな時です。ところが、イエスさまは舳の方でまくらをして眠っておられました。一日のお疲れで、ぐっすり寝ておられたのです。弟子たちは、イエスさまのそばにいき、ゆり起こして言いました「先生、この嵐の中で、そんなにぐっすり寝ることができすね。わたしたちがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」

イエスさまは、何をそんなに騒いでいるのかと言うようなお顔をされて、言われました「風よ静まれ、海よ黙れ」と。すると、たちまち風はやんで、大なぎになったのです。イエスさまは自然界の現象をも、支配されるお方です。命の危険を感じた弟子たちのために、嵐を静めて下さる御方です。

わたしたちは、人生の中でたびたび嵐のような状態に出くわすことがあります。自分ではどうすることもできない混乱と不安の中に投げこまれるようなことがあります。そんな時、わたしたちはイエスさまが共にいて下さるという信仰をもって、その嵐を恐れない心を持つことができるでしょうか。

弟子たちは、この時イエスさまと同じ舟の中にいたのです。波が舟の中に打ち込んできて、舟が沈みそうになった時、彼らは風を見て恐れ、海を見て、もう駄目だと思ったのです。イエスさまがぐっすり寝ておられるのを見て、あんなに安心して寝ておられるのだから大丈夫だと思わなかったのです。「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」わたしたちの不信仰からくる恐怖心が、わたしたちを危険な目にあわせることがあるのです。イエスさまは、いつも、わたしたちに言われます「恐れることはない、わたしである」と。