2022、3、13      受難節第2主日礼拝      牧師 川﨑善三

「みこころにかなった者」                マルコ3:13~3

 イエスさまの働きが、新しい段階に入ろうとしていました。その働きが広範囲に広がり、その仕事がふえ、イエスさまひとりでは対処できないようになっていったからです。

そこで、七十人ばかりいた弟子たちの中から十二人の弟子を選ばれました。イエスさまは彼らと一緒に山を下り、平地に立たれました。すると、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方からも、大勢の群衆が教えを聞こうとして集まってきました。イエスさまと弟子たちはこの人々に対処するため、忙しく働かれました。そのため、イエスさまと弟子たちは食事をする暇もないほどでした。イエスさまと弟子たちの働きの主なものは、教えを宣べ伝えること、病を癒すこと、悪霊を追い出すこと、この三つでありました。

教えを宣べ伝えるということは、イエスさまが神の国についてお話されたということです。神の国は、一粒のからし種のようなものである。どんな種よりも小さいが、成長すると空の鳥がきて宿るほどの大きな木となると、イエスさまは言われました。     

また、病人が癒されました。足の悪い人が癒されて、歩けるようになりました。目の見えない人が見えるようになりました。

また、イエスさまは悪霊を追い出して、その人を正気にして下さいました。そのような奇跡の数々を、イエスさまが行われたので、たくさんの人々がイエスさまの所に助けを求めて集まってきたのです。ところが、そのイエスさまの働きを、よいようにとらない人々もいたのです。「また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも『彼はベルゼブルにとりつかれている』と言い、『悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ』と言いました」(マルコ3:22)ベルゼブルとは、悪霊どものかしらの名前です。それに対して、イエスさまは彼らに言われました「サタンがサタンを追い出すことができようか。もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。それと同じように、サタンが内部で対立し争うならば、彼は立ち行けず、滅んでしまう」そして、「聖霊をけがす者は、その罪がゆるされることはない」と言われました。そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言ったからです。サタンを追い出す働きは、ご聖霊の働きであり、ご聖霊をけがれた霊であると言うことは許されないと言われたのです。

イエスさまを信じる人々はこの罪を犯すことはありません。なぜなら、ご聖霊はわたしたちの内に住む、清い霊であることをわたしたちは知っているからです。しかし、イエスさまを信じない人々は、ご聖霊のことを知らないので、平気でベルゼブルと言うことができるのです。ご聖霊は、その名のとおり、きよい霊です。そこには一点の曇りも汚れもありません。わたしたちの心を、いつも清く正しく整えて下さいます。

「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい」(エペソ5:18、19) いつも、ご聖霊に満たされて信仰の道を歩んでいきましょう。