2022、4、10       受難週主日礼拝       牧師 川﨑善三

「立て、さあ行こう」                  マルコ14:32~50

 今日から、イエスさまが十字架におかかりになった週、すなわち受難週が始まります。その一日目は、棕櫚の主日と呼ばれます。イエスさまはエルサレムに近づき、ベテパゲという村に着いたとき、ふたりの弟子をつかわして言われました「むこうの村へ行きなさい。すると、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。もし、だれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」ふたりの弟子が向こうの村へたどり着くと、表通りの一軒の家の戸口にろばの子がつながれているのを見ました。そこで彼らは、イエスさまの言われたとおり、そのろばの子を解いて連れていこうとしました。すると、そばにいた人々が「そのろばの子を解いて、どうするのだ」と言いました。ふたりの弟子はイエスさまが言われたとおりに答えました。「主がお入り用なのです。またすぐ、ここに返しにまいります」と言ったので、人々はろばの子を連れていくのをゆるしてくれました。

弟子たちはそのろばの子をイエスさまのところに引いていきました。弟子たちは、自分の上着をろばの子にかけると、イエスさまはそのろばの子に乗ってエルサレムの都に入っていかれました。この出来事はメシヤが来られたとき、ろばの子に乗ってエルサレムに入られるという預言が成就するためでした。

そして、木曜日の夕方に、イエスさまは弟子たちと最後の晩餐の時を持たれたのです。イエスさまは、最後の晩餐の席で、パンを取り感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われました「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである」また、杯を取り感謝して言われました「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である」神さまは十字架の上で流されるイエスさまの血を見、またいけにえとして捧げられるイエスさまのお体を見て、わたしたちの罪を赦して下さるのです。モーセの律法によって救われるのではなく、イエスさまの十字架の血潮と肉によって救われるという新しい契約を立てて下さったのです。

それから、イエスさまはいつものようにゲッセマネの園に出かけて行かれました。

そしてペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて園の奥に入って行かれましたが、イエスさまは恐れおののき、また悩みはじめて言われました「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、目をさましていなさい」そして少し進んで行かれて、地にひれ伏して祈られました「もし、できることなら、この時を過ぎさらせてください」そして、祈りつづけて言われました「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」

神さまのみこころのままにと祈られたイエスさまは、神さまが備えられた杯を受けることを覚悟なさったのです。イエスさま弟子たちに言われました「立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」わたしたちも「立て、さあ行こう」と信仰をもって前に進んでまいりましょう。