2022、5、29      復活節第7主日礼拝       牧師 川﨑善三

「イエスの願い」                    ヨハネ17:1~15

 イエスさまの最後の晩餐の席で言われた最後の言葉は、祈りでした。イエスさまは、父なる神がこの世から選んでゆだねられた人々に、ご自身がキリスト(救い主)であることをお示しになりました。彼らは、イエスをキリストと信じ、イエスさまが行われた数々のしるしを通して、神さまがどれだけ私たちを愛して下さっているかを知りました。そして、イエスさまはこの世を去っていくにあたって、この世に残る弟子たちのために、とりなしの祈りをして下さったのです。とりなしの祈りについて学ばせていただきましょう。

創世記18:22~32「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか」ソドムとゴモラの町の人々は、神をののしり、自分たちのやりたい放題のことをしていました。悪事を働き、弱い者をしいたげ、人として与えられたその品性を捨て、汚れの中に生きていました。神を恐れない生き方をしていたのです。それは、ノアの時代の人々と同じでした。「主は人の悪がはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた」(創世記6:5)神さまは、ソドムとゴモラの町を滅ぼそうと思っておられたのです。その事を知らされたアブラハムは、神さまに祈ります「あなたは正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」神さまは、正しい者を滅ぼすような方ではないと信じています。五十人の正しい人がいたなら、その町を滅ぼさないでくださいとアブラハムは言ったのです。アブラハムのこの祈りは、何とかゆるしていただける方法はないかと言う、愛の祈りです。悪人であったとしてもゆるされる道はないかと言う愛のとりなしです。わたしたちの祈りも、愛のとりなしでありたいものです。

「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならばー。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」(出エジプト32:31、32)モーセは自らの救いと引き換えに、人々の罪をゆるしてくださいと祈りました。罪人のための祈りです。イエスさまが十字架の上に祈られた祈りと同じです。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)そして、最後の晩餐の席でこう祈られたのです。「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去るのではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります」わたしたちは、この祈りによって悪しき者(サタン)から守られているのです。