2022、6、12           聖霊降臨節第2主日礼拝     牧師 川﨑善三   「聖霊に満たされ」                    使徒行伝2:1~11

イエスさまはオリブ山から、父なる神のみもとに上げられました。弟子たちの見ている前で雲に迎えられて、天に上げられたのです。それから、弟子たちは山を下り、エルサレムに帰りました。彼らは市内に入り、その泊まっていた屋上の間にあがりました。ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダの十一人、そして、婦人たち、その中にイエスの母マリヤもいました。そして、イエスの兄弟たちも、イエスを信じるようになったのです。

弟子たちはエルサレムの屋上の間で心を合わせて、ひたすら祈っていました。この10日間の待ち望み会の中で、彼らはいろいろな事を教えられました。それは、イエスさまによって直接、選ばれた弟子・使徒と呼ばれていた弟子たちの中からイスカリオテのユダが欠けたことに気がつきました。そこで、一同はユストというヨハネとマッテヤとを選び、神に祈り、くじを引いたところマッテヤに当たりました。この人が11人の使徒に加えられました。

そして、五旬節の日がきたのです。

この日も120名ばかりの人々が一緒になって集まり、お祈りをしていました。すると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきました。その音は一同が集まっていた家いっぱいに響きわたりました。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上にとどまりました。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろな他国の言葉で語り出しました。彼らの声が家中に響きわたりました。すると、人々がその物音を聞いて集まってきました。その日は五旬節の日であったので、世界中から信仰深いユダヤ人が集まってきていました。その人々がこの出来事の目撃者となったのです。人々は言いました「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。それだのに、わたしたちがそれぞれ、生まれ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか」ガリラヤ人たちが、外国語をしゃべっている。これはいったい、どういうわけなのか。いきなり、そんなことが起これば、だれでもそう思うでしょう。しかし、ある人々は、弟子たちをあざ笑い、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言いました。そこで、ペテロが11人の者と共に立ち上がり、声をあげて人々に語りかけました。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。今は朝の9時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒によっているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことが成就したのである。『神がこう仰せになる。終りの時にはわたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう』」この日、エルサレム教会が生まれ、ご聖霊の時代が始まったのです。