2022、8、7     聖霊降臨節第10主日礼拝      牧師 川﨑善三    
 「反対しない者」                     マルコ9:30~41


 イエスさまのご生涯は、旅から旅へのご生涯でした。ひとつ所に長く滞在し、安逸をむさぼると言うところのないご生涯でした。

ピリポ・カイザリヤで、霊につかれて苦しんでいる少年を助けて下さったイエスさまは、そこを立ち去り、ガリラヤを通ってカペナウムに行かれました。イエスさまは、ご自分の行動が人に気づかれるのを好まれず、ひそかに弟子たちと共にカペナウムに向かって進んでいかれたのです。イエスさまはこの時、エルサレムで起る出来事について、弟子たちにお話になりました。「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」。やがて、イエスさまと弟子たちはカペナウムに着き、家にはいりました。その時、イエスさまは弟子たちに尋ねて言われました「あなたがたは途中で何を論じていたのか」すると、弟子たちは急に黙ってしまいました。彼らはイエスさまに聞かれたら、バツの悪いと思われるような事を論じあっていたのです。「わたしたちは途中で、だれが一番偉いかと論じあっていました」イエスさまは、この時三十歳台の若さでした。弟子たちもみな、同じ年ごろでした。彼らは皆、野心満々の年ごろだったのです。ですから、だれが一番偉いかと論じあうのも無理からぬことだと思います。しかし、イエスさまは本当に偉い人はどういう人のことを言うのかを、弟子たちに教えられました。「だれでも一ばん先になろうと思うならば、一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならない」この世において、人の上に立つ者は他の人々を押しのけて、その上に立とうとします。しかし、神の国においては、偉いとされる人はその反対です。すべての人の下に、自分を置き、すべての人に仕える者として生きる人こそ神の国における偉い人であると、イエスさまは言われるのです。

ここで、話題が突然変わりました。「ヨハネがイエスに言った『先生、わたしたちについてこない者が、あなたの名を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました』」(マルコ9:38)弟子たち以外に、イエスさまを信じている人々がいたようです。その人々が、イエスさまの名を使って悪霊を追い出していました。ヨハネはその人々に、あなたがたもわたしたちの所に来て、わたしたちについてきなさいと言いましたが、その人々は、わたしたちは別行動をしますと言ったのでしょう。それならば、今後、イエスさまの名を使わないようにとヨハネは言ったのです。これは、党派心の現れです。イエスさまは狭い心の御方ではありません。イエスさまはヨハネに言われました「やめさせないがよい。だれでもわたしの名で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方である」わたしたちの身近に、そういう人がいます。積極的に信じているわけではありませんが、反対するほどでもないと言う人がいます。そういう人は、わたしたちの味方であると、イエスさまは言われるのです。

わたしたちにとって、このお言葉は慰めであり、また励ましであります。このお言葉をいただき、感謝いたしましょう。