2022、9、4     聖霊降臨節第14主日礼拝      牧師 川﨑善三

「隅のかしら石」                    マルコ12:1~12

 イエスさまがエルサレムに入城された所から、この話が始まります。

イエスさまと弟子たちの一行が、エルサレムに沿ったペテパゲ、ベタニヤの附近に近づた時のことです。イエスさまは、ふたりの弟子をつかわして言われました「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここに返してくださいますと言いなさい」だれも乗ったことのないという表現は、聖なるものと言う意味が含まれている表現です。ふたりの弟子は、イエスさまの言われたとおり、むこうの村へ出かけて行きました。すると、表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見つけました。弟子たちが、ろばの子を解いて連れていこあうとすると、そこに立っていた人々が言いました「そのろばの子を解いて、どうするのか」ろばの子を連れて行ってどうするのか、何の役に立たないような弱いものを何のために用いるのかと言ったのです。ふつうの人々から見れば、非力で田畑を耕すのに、役に立たないような存在でした。そのろばの子を用いようとするのですから、その人々にとって、弟子たちの行動は不可解なものに見えたのです。しかし、神さまは違います。そのような弱いもの、無きに等しいものを用いようとなさったのです。

弟子たちはそのろばの子を引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスさまはの上にお乗りになりました。人々は自分たちの上着を道に敷き、他の人々は棕櫚の枝を切り、道に敷きました。イエスさまはその道を進んで行かれたのです。     「シオンの娘に告げよ、見よ、あなたの王がおいでになる、柔和なおかたで、ろばに乗って、くびきを負うろばの子に乗って」馬は戦争を意味します。馬に乗ってくるものは、戦いの勝利者を表わします。ろばは平和の象徴です。イエスさまは、この地上に戦いをもたらす者としてではなく、平和をもたらす者として来て下さったのです。ろばの子に乗られたということは、そういうことです。

 イエスさまは神の宮で、祭司長たちに譬を語られました。ある人がぶどう園を造りました。垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それらを農夫たちに貸して旅に出ました。やがて、ぶどうの収穫の季節になったので、農夫たちの所へひとりの僕を送って、ぶどう園の収穫の分け前を取り立てようとしました。すると、農夫たちはその僕をつかまえて、袋だたきにし、から手で帰らせました。また、他の僕たちを送りましたが、その頭をなぐって侮辱しました。そこで、また、他の者を送りましたが、その人たちを打ったり、殺したりしました。最後に、主人は彼の愛子を送りました。自分の子は敬ってくれるだろうと思ったのです。すると、農夫たちは「あれは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうしたら、このぶどう園はわれわれのものになる」と言い、主人の子をつかまえて殺し、ぶどう園の外に投げ捨てました。イエスさまはそのようになるとご存じで進んでいかれたのです。