2022、10、2     聖霊降臨節第18主日礼拝     牧師 川﨑善三
 「過越の食事」                     マルコ14:10~26 
 

                   

 ユダヤ人は、一年に三度、祭を行いました。ユダヤ人の男性は、その祭にはエルサレ

ムに上って神さまに感謝の礼拝をささげるようにと、律法で定められていました。その

三つの祭とは、過越の祭、五旬節の祭、仮庵の祭の三つでありました。イエスさまと弟

子たちは、過越の祭にエルサレムに上り、その祭に参加しようとしていたのです。

「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに尋ねた

『わたしたちは、過越の食事をなさる用意を、どこへ行ってしたらよいでしょうか』」

(マルコ14:12)エルサレムに、イエスさまの知り合いの家があったわけではありませ

ん。また、弟子たちの誰かがエルサレムに家を持っていたわけでもありません。そこで、

弟子たちはエルサレムのどこへ行って、過越の食事をしましょうかと尋ねたのです。

すると、イエスさまはふたりの弟子を使いに出して言われました「市内に行くと、水が

めを持っている男に出会うであろう。その人について行きなさい。そして、その人がは

いって行く家の主人に言いなさい『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこかと

、先生が言っておられます』するとその主人は席を整えて用意されて二階の広間を見

せてくれるから、そこにわたしたちのために用意をしなさい」ふたりの弟子は出かけて、

市内に行ってみると、イエスさまの言われたとおりであったので、そこに過越の食事

の用意をしました。どうして、そんなに簡単にその場所が見つかったのでしょうか。

まずイエスさまが来て下さると予想していた人が、ひとりいました。その人が場所を

用意し、貸してくれたのです。主人は、イエスさまと十二人の弟子たちが来てくれると

予想しました。どんな準備をしたのかと言えば、水をたくさん準備することでした。

食事を準備するための水であり、イエスさまと一行の飲む水が必要でした。その量は、

それなりの量が必要でした。女の人では、運ぶことのできない量だったと思います。

それで、男の人が水がめを持っていたのです。弟子たちは市内にはいり、水がめを持っ

ている男の人を、すぐに見つけてその人のあとをついて行ったのです。

 ここで、過ぎ越しの食事とは、どんな食事であったのかと言うことをお話しましょう。

「あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい『この月の十日におのおの、その父の

家ごとに小羊を取らなければならない。そしてこの月の十四日の夕暮にこれをほふり、

その血を取り、その家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。

そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜をそえて食べなければな

らない」(出エジプト12:3、6~8)これが、過越の祭に食べるところの食事でした。

「一同が食事をしているとき、イエスはパンをとり、祝福してこれをさき、弟子たちに

与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」また、言われた「これは、多く

の人のために流すわたしの契約の血である」わたしたちは、イエスさまの十字架の血に

よって罪のさばきから免れるのです。イエスさまの犠牲によって、わたしたちと神さ

まとの間に新しい契約が結ばれるのです。イエスさまの血と肉が、わたしたちの救いとなるのです。