2022、11、6       降誕前第7主日礼拝       牧師 川﨑善三

「たとい死んでも生きる」                 ヨハネ11:1~17

 エルサレムの近くに、ベタニヤという村がありました。その村にマリヤとその姉妹マルタ、そして、ふたりの兄弟ラザロが住んでいました。マリヤはイエスさまにナルドの香油をぬり、自分の髪の毛で、イエスさまの足をふいた女性でした。マルタとマリヤは、人をイエスさまの所につかわして言いました「主よ、ただ今、あなたが愛している者が病気をしています」この言葉だけで、誰が病気をしているのかが、わかったのですから、イエスさまと彼らの関係がどれぐらい親密であったかが、よくわかります。イエスさまは、その知らせを聞いて言われました「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」ラザロの病気の程度を、イエスさまが知っておられたわけではありません。死にいたるほどの病なのか、それとも死ぬほどのものではないものなのか、それはわかりませんでした。しかし、この病によって、神が栄光をお受けになること、また、イエスさまが、神の子キリストであるとの栄光をあらわす機会となると言われたのです。この言葉を使者に託して、使者は帰っていきました。それから、イエスさまは、なおふつか、そのおられた所に滞在しておられました。イエスさまは二日の後、弟子たちに言われました「わたしたちの友ラザロが眠っている。わたしは彼を起しに行く」すると、弟子たちは言いました「主よ、眠っているのでしたら、助かるでしょう」イエスさまはラザロが死んだことを言われたのですが、弟子たちは眠って休んでいるのだと思ったのです。そこで、イエスさまは、あからさまに彼らに言われました「ラザロは死んだのだ。そして、わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである」そう言って、イエスさまはベタニヤ村に行かれたのです。

 ベタニヤ村にイエスさまと弟子たちが着いたとき、村の様子が、ふだんと違っていました。大ぜいのユダヤ人が、マルタとマリヤを慰めようと家に集まっていました。マルタは、イエスさまが来られたと聞いて出迎えに行きました。マルタは開口一番、こう言いました「主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。しかし、あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」イエスさまは、マルタに言われました「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」マルタはイエスさまに言いました「主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております」この信仰告白はすばらしいものです。イエスさまは、このあと墓に行かれました。そして、墓の入り口をふさいである石をとりのけて、大声で叫んで言われました「ラザロよ、出てきなさい」ラザロは生き返ったのです。「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」イエス・キリストを信じて死んだ人々は、終りの日によみがえると言うことを、ラザロの奇跡は表しているのです。先に召された人々と再会できる日が来るのです。