2023、1、29     降誕節第6主日礼拝       牧師 川﨑善三

「宣教の開始」                     ルカ4:14~30

 イエスさまは、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられました。水から上がって祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスさまの上に下り、天から声がありました「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

 この光景を目にしたのは、ヨハネとイエスさまだけだったと思われます。この時から、イエスさまの神の子としての生涯が始まりました。「イエスが宣教を始められたのは、年およそ30歳の時であった」と聖書に書いてあります。また、「ダビデは王となったとき30歳で、40年の間、世を治めた」(サムエル記下5:4)とありますが、30歳という年は節目の年であるようです。

 イエスさまは聖霊に満たされ、御霊に導かれて荒野に行かれました。それは悪魔の試みにあうためでした。アダムとエバが、エデンの園でへびの誘惑を受け、それに負けて神の戒めを破ってしまいしたが、イエスさまも悪魔の誘惑にあうように、神さまはそれをお許しになったのです。イエスさまは40日間、断食して過ごされました。そして、その日数が満ちると空腹になられました。一番ひもじい時に、悪魔はやってきました。そして、言ったのです「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」イエスさまは、こう答えられました。「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」このあとのふたつの誘惑にも、聖書の御言葉で答えられ、悪魔の誘惑を退けられました。悪魔は一時イエスさまから離れて行きました。しかし、悪魔の試みは、終わったわけではありません。最後の誘惑は、ゲッセマネの園の誘惑です。イエスさまは、その時も勝利されて言われました「立て、さあ行こう」。

 それから、イエスさまは御霊の力に満ちあふれて、ガリラヤに帰られ、諸会堂で教え、様々な奇跡を行い、人々を助けられたのです。それから、お育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂に入り、聖書を手にとり、朗読されました。「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである」(ルカ4:18)ご聖霊が、わたしのうちにお宿りになっている。それは福音を宣べ伝えさせるために、神がわたしを聖別してくださったからである。                「主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれた者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(ルカ4:18、19)イエスさまが来られたのは、わたしたちの目を開いて下さるために来られたのです。そして、希望を失っている者に、希望を与えて下さるために来られたのです。そして、神のめぐみの年が始まったと言うのです。

「主のめぐみの年」とは「ヨベルの年」という意味です。イスラエルでは、50年に一度、借金が帳消しにされる年がありました。イエスさまは、その「ヨベルの年」がやってきたと言われるのです。わたしたちの借金、それは私たちの罪のことです。それがゆるされるのです。こんな、嬉しいことはありません。