2023、2、26      受難節第1主日礼拝        牧師 川﨑善三

「主の力」                         ルカ5:17~26

 イエスさまのお話は、群衆に対して非常にわかりやすいお話でした。パリサイ人や律法学者の中には、みんなに届く話をする人もいたでしょうが、イエスの話にまさる話をする人はひとりもいなかったと思います。

「幾日かたって、イエスがまたカペナウムにお帰りになったとき、家におられるといううわさが立ったので、多くの人々が集まってきて、もはや戸口のあたりまで、すきまが無いほどになった」(マルコ2:1)

イエスさまがカペナウムにお帰りになったとき、その出来事が起ったというのです。大勢の人が集まり、家の中がいっぱいで、外まで人があふれでる始末でした。その中には、エルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちもいました。その時、ある人々がひとりの中風をわずらっている人を、床にのせたまま連れて来ました。彼らは屋根にのぼり、瓦をはいで、穴をあけて、病人を床ごと、つりおろして、イエスさまの前に置きました。大勢の人がいて中に入ることができなかったからです。イエスさまは彼らの信仰を見て「子よ、あなたの罪はゆるされた」と言われました。普通なら「あなたの病は癒された」と言われたかも知れませんが、この時はそう言われませんでした。「罪がゆるされた」と言われたのです。主はよりすばらしいものを、最も根本的なものを、この人に宣言し与えられたのです。この事に腹を立てた人々がいました。「この人は、なぜあんなこと言うのか。それは神をけがすことだ。神ひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」

 イエスさまは彼らのつぶやきを見ぬいて、言われました「あなたがたは心の中で何を論じているのか。あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きよ、床を取り上げて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることがわかるために」イエスさまは私たちの罪をゆるすために、この地上にお越しになったのです。私たちは罪のゆえに、この地上では様々な苦しみ、病を経験しています。そのような苦しみを取り除いて下さるのは、イエスさまです。病を癒してくださるのも、イエスさまです。しかし、罪をゆるしていただけるという事が、最も幸いなことです。この事を忘れないようにしなければなりません。

 主はこの人に言われました「床を取りあげて、家に帰れ」自分の足で歩んでいきなさいと言われるのです。「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(使徒3:6)

主イエス・キリストを信じる者として、どういう歩みをしているのか、反省したいと思います。