2023、3、26     受難節第5主日礼拝        牧師 川﨑善三

「迫りつつある時」                   ルカ19:28~48

 イエスさまの三年半に及ぶ伝道活動が、終ろうとしていました。

「さて、一同はエルサレムへ上る途上にあったが、イエスが先頭に立って行かれたので、彼らは驚き怪しみ、従う者たちは恐れた」(マルコ10:32)イエスさまはこの時、毅然として弟子たちの先頭に立って、エルサレムに上って行かれました。目の前に十字架という恐ろしい刑罰が待っていると言う状況の中で、イエスさまは粛々と前に進んで行かれたのです。弟子たちはそのようなイエスさまを見たことがありませんでした。彼らは驚き怪しみ、厳かな思いになりました。イエスさまは、ふたりの弟子を向こうの村へつかわして言われました「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい」ふたりの弟子は、イエスさまの言われたとおり、向こうの村へ行ってみると、イエスさまの言われたとおり、ろばの子がつないであるのを見ました。そこで、そのろばの子を解いてイエスさまの所に引いてきて、自分たちの上着をかけると、イエスさまはそれにお乗りになってエルサレムに入城されました。「それから宮にはいって商売人たちを追い出しはじめて、彼らに言われました『わが家は祈りの家であるべきだ』と書いてあるのに、あなたがたは盗賊の巣にしてしまった」(ルカ19:45、46)イエスさまは、三年前にも神の宮をきよめられましたが、三年たってまた神の宮は、強盗の巣になってしまっていたのです。人間の罪と汚れが、どれほど根深いものであるかを知らされます。人は新しく生まれなければ、神の国に入ることができないのです。

 イエスさまは、宮で人々に毎日教えておられました。宮から出て行かれるとき、ひとりの弟子が言いました「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、なんという立派な建物でしよう」しかし、イエスさまは言われたのです。「あなたは、これらの建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」(マルコ13:1、2)イエスさまの目には、エルサレムの町が陥落し、神の宮が粉々に破壊される時の様子が見えておられたのです。そして、このあと世の終りについて預言されたのです。現代に生きる私たちにとって、「迫りつつある時」とは、世の終わりの時であるということです。                                                                   「子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る」(Ⅰヨハネ2:18)今が終わりの時であることをわきまえて、信仰を失くさないように生きていきましょう。