2023、7、2 聖霊降臨節第6主日礼拝 牧師 川﨑善三
「帰ってきた人」 ルカ17:5~19
イエスさまによって選ばれた12人の弟子、すなわち使徒と呼ばれた人々は、イエスさまから託された福音伝道のわざの重要性を、よく理解していました。
彼らはイエスさまに「わたしたちの信仰を増してください」とお願いしました。大事な使命を果たすためには、それなりの信仰が必要なのかも知れませんが、イエスさまは信仰の強さ、弱さよりも、その信仰の質について弟子たちに語られました。「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう」(ルカ17:6)信仰は、どんなに小さくても絶大な力があります。イエスさまのお言葉によれば、人間の力ではできないような事を信仰は可能にすることができます。信仰は大きさではありません。どんなに小さい信仰であっても、それが純粋で一途なものであるならば、神さまはその信仰に答えてくださいます。12年の長血をわずらっていた女の癒しは、彼女の信仰の純粋性のよるものでした。しかし、イエスさまは、ここで信仰があるかないかについて、それ以上のことについてはお話になりませんでした。別のお話をされたのです。あなたがたのうちに耕作か牧畜をする僕があるとする。その僕が畑から帰ってきたとき、主人はその僕に「さあ、食卓について食事をしなさい」と言うだろうか。主人はその僕に「夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いするがよい」これは、信仰が増し加えられて、この世の使命を果たしても、そのようなことは誇るようなことではない。「わたしはふつつかな僕です。なすべきことをしたに過ぎません」と言うべきであると、イエスさまは言われたのです。すなわち、働きよりも、神さまに従うことの方が大事だと言うことです。
さて、イエスさまはエルサレムに行こうとされました。サマリヤとガリラヤの間をお通りになったとき、ある村に入られると、10人の重い皮膚病の人たちに出会いました。彼らは遠くの方で立ちどまり、声を張りあげて「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言いました。遠くから叫んだのは、彼らが健康な人に近づいてはいけないと言う決まりを守っていたことを表しています。イエスさまは彼らをごらんになって言われました「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」あなたがたの病はいやされたから、祭司たちの所へ行って、それを証明してもらって一般の生活にもどりなさいと言われたのです。そして、彼らはゆく途中できよめられたことがわかりました。すると、その中のひとりが大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスさまの足もとにひれ伏して感謝しました。イエスさまは、この人に言いました「きよめられたのは、10人ではなかったか。ほかの9人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」(ルカ17:17)それから、その人に言われたのです。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」信仰とは、神さまに感謝することであり、神をほめたたえることであります。
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