2023、7、23 聖霊降臨節第9主日礼拝 牧師 川﨑善三
「一万タラントの負債」 マタイ18:21~35
イエスさまは、弟子たちに、人の罪をゆるすことの大切さをいつも教えておられました。
「わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである」(ヨハネ12:47)しかし、主イエスによって裁かれる時がやってきます。最後の審判の時です。ミケランジェロが絵画で「最後の審判」を描いていますが、そのような時が、やがてやってまいります。「すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをよりわけ、羊を右に、やぎを左におくであろう」(マタイ25:32)生きているうちに、イエスさまを信じないで死んだ人々が、最後の審判のとき、よみがえってイエスさまの前でその行いによって裁かれるのです。ある人は御国を受け継ぎ、ある人は永遠の火に投げ込まれてしまうと、イエスさまは言われたのです。羊と言われる人々は、その人生において憐れみ深い人生を送りました。空腹の人を食べさせ、旅人に宿を貸し、裸の人に着せ、病人を見舞い、獄屋にいる人をたずねて励ましました。やぎと言われる人々は、それらのことを一切しなかったのです。弱い人々を憐れみ、助けるという生き方をしなかったのです。
ペテロをはじめ、他の弟子たちはイエスさまの話を聞いて理解し、悟り、そのような生き方をしたいと思いました。しかし、まだ足りない部分があるだろうかと、ペテロは思いました。そして、イエスさまに尋ねました「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」(マタイ18:21)当時のユダヤ人の格言では「三度ならばゆるし、四度ならばゆるすべからず」と言っていました。日本人も同じようなことを言っています。「仏の顔も三度まで」さすがに、ペテロはイエスさまの一番弟子です。彼はこう言ったのです「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」ペテロはそれで十分だと言ってもらいたかったのかも知れません。しかし、主は言われました「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい」
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめてくださる」(Ⅰヨハネ1:9)
イエスさまは、わたしたちが罪を認め、悔い改めるならば、七の七十倍ゆるしてくださるのです。
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