2023、8、27      聖霊降臨節第14主日礼拝      牧師 川﨑善三

「失望せずに祈れ」                      ルカ18:1~14

 イエスさまは、至る所で群衆に祈ることの大切さを教えてくださいました。イエスさまは弟子たちと、いろいろな町に出かけられました。その町その町に、それぞれ特徴があります。イエスさまはユダヤの町や村に行き、いろいろな経験をなさったと思われます。ある町に、神を恐れず人を人とも思わぬ裁判官がいました。また、その町にひとりのやもめがいて裁判官の所に、毎日やってきてお願いしました。「どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守って下さい」裁判官にとってこの女の訴えは面倒なことであり、気が滅入ってしまうような事柄でした。そこで、とうとうこの女のためになるような裁判をしてやろうと思ったのです。そこで、イエスさまはこう言われました「この不義な裁判官の言うことを聞いたか。まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか」当時のユダヤ人にとっての願いは、国が復興されるということでした。イエスさまは、失望せずに祈り続けなさいと励まされたのです。

 また、どのような祈りが、神に聞きとどけられるのかと言うことをお話になりました。

ふたりの人が、祈るために神の宮に上りました。ひとりは、自分は義人だと思って他人を見下げているパリサイ人、もうひとりは取税人でした。パリサイ人は立って、こう祈りました「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」こう言った祈りをする人にあったことがありません。私たちの祈りは、神の御前に立つ祈りであり、こんな祈りはできないはずです。

祈りそのものが、謙遜なものであることを、私たちは知っています。しかし、イエスさまの時代には、このような人がいたと言うことです。さて、もうひとり、パリサイ人と共に宮に上った取税人はどう祈ったのでしょうか。取税人は目を天に向けようともせず、胸を打ちたたきながら言いました「神さま、罪人のわたしをおゆるしください」

 自分のうちにある罪を告白し、ゆるしを願う人と、自分の正しい行いを誇って祈る人の違いを、イエスさまはお示しになりました。そして、言われました「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」わたしたちは、絶えず全能の神の御手の下に自らを低くして過ごすべきです。その良い例として、イエスさまは、幼な子を人々の前に立たせて言われました「だれでも、幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることはできない」