2023、9、24      聖霊降臨節第18主日礼拝      牧師 川﨑善三

「世の富」                          ルカ16:1~13

イエスさまは、ルカ15章で三つのたとえを、お話しになりました。百匹の羊のうちいなくなった一匹の羊を羊飼いが探し回って見つけたこと、10枚の銀貨のうち、なくしてしまった銀貨が見つかったこと、そして、放蕩息子の話です。これらのたとえは、神の喜びたもうことは何かと言うことです。そして、16章で、またひとつのたとえをお話しになりました。                                     

ある金持ちの所に、ひとりの家令がいました。この人は良い人ではありませんでした。悪い人でした。ところが、イエスさまはこの家令が行ったことをほめられたのです。    ある人が主人の所に来て、家令がご主人の財産を浪費しているとつげ口をしました。この家令はご主人の財産を自分のために使っていました。横領であり、着服であり、りっぱな犯罪でした。主人は家令を呼んで言いました「あなたについて聞いていることがあるが、あれはどうなのか。あなたの会計報告を出しなさい。もう家令をさせて置くわけにはいかないから」この家令は、自分の不正がご主人に知れたと思いました。そこで、家令をやめさせられても、人々が彼を自分の家に迎えて、世話をしてくれるよう考えました。彼は主人の負債者をひとりびとり呼び出して言いました。はじめの人に尋ねました。「あなたは、
わたしの主人にどれだけ負債がありますか」「油百樽です」そこで、家令は言いました「ここにあなたの証書があります。そこにすわって五十樽と書き変えなさい」次に、もうひとりの人に「あなたの負債はどれだけですか」「麦百石です」「ここに、あなたの証書があるが、八十石と書き変えなさい」家令は勝手に負債者たちの負債を免除し、軽くしてやったのです。ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方をほめて言われました「この世の子らはその時代に対しては、光の子らよりも利口である。あなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくりなさい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう」光の子とはキリスト者のことです。この世の子とは、キリストを信じていない人々のことを言っています。自分の利害についてはこの世の子は賢いが、キリスト者はそうでもない。キリスト者は神から与えられた富を用いて伝道し、多くの信仰の友をつくるべきである。そうすれば富がなくなった場合、すなわち、死ぬ時がきたならば、あなたの伝道によって救われた人たちが、あなたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう」「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」小事とは、この世の財を用いることです。神から与えられた、この世の財を正しく用いることのできない人に、神は天国における真の財産をまかせることはないと、イエスさまは言われたのです。

この世の富は、神さまから預けられているものです。それを自分のために用いて、神さまのために用いようとしない人がいます。神さまは、私たちに期待しておられます。今からでも遅くありません。主のために働く者でありましょう。