2024、1、14 降誕節第3主日礼拝 牧師 川﨑善三
「最初の弟子たち」 ヨハネ1:35~51
神からのお言葉を聞いて、そのみわざを見ることのできる人は幸いです。バプテスマのヨハネは神からのお言葉を聞いた人です。神さまはヨハネに言われました「あなたは、ヨルダン川でバプテスマを授けなさい」。ヨハネの授けていたバプテスマは、罪の悔い改めを表すためのものでした。また、もうひとつのことを語られました「ある人の上に御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは御霊によってバプテスマを授ける方である」ヨハネとイエスさまの出会いは、彼がヨルダン川でバプテスマを授けていたとき、イエスさまがそこに来られた時が最初でした。(マタイ3:13~17)イエスさまは、ガリラヤを出てヨルダン川に行き、ヨハネからバプテスマを受けようとされました。ヨハネはこの時、この御方が救い主・神の子であることがわかったようです。ヨハネは救い主がお越しくださった、それだけでなく、ヨハネからバプテスマを受けようとされたので、大変驚きました。罪のない神の子イエスが、罪人と同じようにバプテスマを受けようとされたのです。「わたしこそ、あなたからバプテスマを授けていただかねばならないのに、どうして、わたしがあなたにバプテスマを授けなければならないのですか」イエスさまは言われました「今は受けさせてもらいたい。このようにすべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」神さまから罪のゆるしをいただき、神の子として受け入れられるのには正しい順序があります。まず、罪の告白をして、その罪がゆるされると信じますと言い表し、それからバプテスマを受けると言う順序です。イエスさまには、罪の悔い改めは必要ありませんがバプテスマを受けると言う順序は守りたいと言われたのです。「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ10:10)私たちが心に信じて、その信じることを口で言い表すならば救われると言うことです。口で言い表すと言うことは、わたしはイエスさまを救い主であると信じますと態度で表すと言うことです。それがバプテスマです。
イエスさまは「だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」と言われました。私たちが、神の救いにあずかるためには、罪の悔い改めとバプテスマを受けることが必要なのです。イエスさまはこの事をよくわきまえておられて、ヨハネからバプテスマをお受けになったのです。そして、水から上がられて祈っておられると、天が開け、聖霊がはとのような姿をとって、イエスさまの上にお下りになりました。また、天から声がありました「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」キリストの任命式です。私たちは水によるバプテスマによって罪がゆるされ、御霊によるバプテスマにより、神からの力を受けてキリストの証人となるのです。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8)弟子たちが、力ある働きができるようになったのはペンテコステの出来事のあとです。私たちも聖霊のバプテスマを受けて力ある信者となりましょう。
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