2024、1、28    降誕節第5主日礼拝         牧師 川﨑善三

「御子を信じる者」                   ヨハネ3:1~17

イエスさまはたくさんの人から尊敬され、慕われていました。イエスさまに敵対するパリサイ人の中にも、そういう人たちがいました。ヨハネ3章に、そういう人が登場します。「パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった」ニコデモは、サンヒドリン、すなわちユダヤ人の国会にあたる七十人議会の議員でした。ニコデモはイエスさまの所に、夜やってきました。イエスさまが神の宮をきよめられたという出来事は、すでにエルサレムの町中の人に広く知れわたるところとなっていました。ニコデモは用心深く、個人的にイエスさまの所にやってきました。彼はイエスさまに対して興味を抱いていましたが、イエスさまの言われることを十分知りたいと思ったのです。「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」神さまは宮をきよめ、神聖な場所にしたいと願い、求めておられる。それをイエスさまが行われたということは、イエスさまは神からつかわされた御方に違いないと、エルサレムの住民は思いました。ニコデモはその事を言っているのです。そして、これはニコデモの信仰でもありました。彼は「イエスさまは神からつかわされた教師である」と信じたのです。神の御心を求める人、神の国とその義を求める人がここにいるとわかって、イエスさまは嬉しく思われたに違いありません。そして、だれが神の国に入ることができるのかと言うことを、お語りになりました。「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊から生れなければ、神の国にはいることはできない」イエスさまは、生まれつきの人間は、そのままでは神の国にはいることはできないと言われました。聖書でいう「生まれつきの人間」とは、罪を持ったままの人という意味です。神にそむき、自分を神として傲慢に生きている者は、神の国にはいることはできません。イエス・キリストを信じ、罪のゆるしを信じる信仰を持っている人、すなわち、新しく生れ変わった人だけが神の国を見、神の国にはいることができるのです。さて、ニコデモはこの言葉を理解することができたのでしょうか。年をとったわたしが、心を入れ替えて、あたらしい人間に生れ変わるということはむずかしいことですと言いました。しかし、イエスさまは「肉から生れるものは肉であり、霊から生れるものは霊である」と言われました。新しく生まれると言うことは、その人の決意や思いでもってそのようになると言うのではなく、霊によって新しく生れる者こそ、神の国にはいることのできるものである。霊によって新しく生れる者とは、わたしを信じる者は聖霊を受け、聖霊によって新しく生れ変わることができるのですと、イエスさまは言われます。私たちがイエスさまを信じた時に、神さまがご聖霊によって、私たちを新しく生れ変わらせてくださるのです。そして、十字架のあがないが成し遂げられる時に、完成すると言われました。クリスチャンは新しく生まれ変わった人々です。私たちは神の国にはいることができるのです。