2024、2、11     降誕節第7主日礼拝        牧師 川﨑善三

「パンの奇跡」                      ヨハネ6:1~15

 イエスさまが、ガリラヤ地方で伝道しておられた時のことです。イエスさまのゆく所、大ぜいの群衆がついて廻りました。あるとき、人々がお話を熱心に聞くあまり、時のたつのを忘れて夕方になってしまいました。弟子たちが言いました「ここは寂しい所でもあり、もう時も遅くなりました。群衆を解散させ、めいめいで食物を買いに村々に行かせてください」主は言われました「彼らが出かけていくには及ばない。あなたがたの手で食物をやりなさい」神のことばを慕い求める人々に、その肉体を支えるための食物も、神さまは用意してくださるというイエスさまの信仰が表されています。「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」このような少量の食べ物が、何の役に立つでしょうかと言いました。イエスさまは「それをここに持ってきなさい」と言われました。そして、群衆を草の上にすわらせて、五つのパンと二ひきの魚を手にとり、天を仰いでそれを祝福し、パンをさいて弟子たちに渡されました。弟子たちはそのパンを群衆に配りました。パンはもくもくとふえ続けて、みんなのものは食べて満腹しました。そして、パンくずを集めると十二のかごにいっぱいになりました。群衆は驚きました。そして、パンを配った弟子たちも喜び踊りました。しかし、このような得意の絶頂ともいうべき時が、信仰的に危険な時です。パンを食べて満腹した群衆は、イエスさまをとらえて王にしようとしました。そこで、イエスさまはすぐに群衆を解散させて、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになりました。

弟子たちは、いつもイエスさまと行動を共にしました。しかし、時として、イエスさまと離れなければならない時がありました。彼らは人生の荒海にこぎ出して、自分の力で先にすすまなければなりませんでした。私たちの人生は、順風ばかりではありません。むしろ逆風の時が多いかも知れません。弟子たちは波に悩まされながら、海の上を漂っていました。夜明けの四時ごろ、あたりが明るくなり始めた頃、イエスさまが海の上を歩いて近づいてこられました。弟子たちは恐怖のあまり叫び声をあげ、「幽霊だ」と言って騒ぎ始めました。イエスさまはすぐに声をかけ「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われました。小島伊助先生が、いつもこの言葉をもって私たち神学生に語りかけて下さいました。「我なり、恐れるな」人生の荒海に船出して、波風に翻弄され、まさに沈みかけるとき、私たちはこのおことばを思い出すべきです。

イエスさまか海の上を歩いて自分たちの所に来て下さった。弟子たちは、声もなく驚いてしまいました。ペテロは言いました「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を歩いてみもとに行かせてください」ペテロは水の上を歩いてイエスさまの近くまで行きました。しかし、風を見て恐ろしくなり、おぼれかけました。イエスさまはすぐに手を伸ばし彼をつかまえて言われました「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」

私たちは、イエスさを見続けているならば、水の上をあるくことができます。人生の勝利者となれるのです。「わたしはすでに世に勝っている」と、主は言われます。