2024、3、31 復活日主日礼拝 牧師 川﨑善三
「キリストの復活」 マタイ28:1~20
その日の朝は静かにあけていきました。ごく普段と変わらない、ふつうの朝でした。 その朝、いくつかのグループが墓に向かっていました。マグダラのマリヤと数人の女性たち、ほかにも何人かのグループが墓に向かっていました。金曜日の夕方、十字架にかかって息を引き取られたイエスさまの体は、アリマタヤのヨセフが自分のために用意していた新しい墓に納められました。その墓の場所を見届けた女の弟子たちが、イエさまの御体に香料を塗ろうとして墓に向かったのです。道々、女たちに言いました「だれが、わたしたちのために墓の入口から石をころがしてくれるでしょうか」通常、墓の入口には石がころがされて、ふたがされていました。この石をころがし墓の中に入るには、女たちの力では到底、無理でした。墓の番人にお願いして、石をころがしてもらおうと言うような話をしていたのです。ところが、彼らが墓に近づいたとき大きな地震が起こりました。それは、天の使が天から下ってきて、墓の入口の石をころがし、その上にすわったために起こった地震でした。女たちが、墓に着いたとき石の上に座っている天の使を見ました。墓の見張りをしていた番人たちは、恐ろしさの余り震えあがって逃げだしてしまいました。天の使は女たちに言いました「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを探していることは、わたしにはわかっているが、もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである(マタイ28:5、6)古今東西、偉人、賢人と称される人々の墓は、それぞれの場所にあり、祀られています。エルサレムには、イエスさまの遺体が葬られたと言われる場所に「聖墳墓教会」が建っています。しかし、そこにはこう記されています。「ここにはおられません。よみがえられたのです」私たちの信仰にとって、一番大事な、歴史的な事実は十字架と復活です。「わたしが最も大事なこととして、あなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわち、キリストが聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである」(Ⅰコリント15:3~5)パウロがこの手紙を書いた頃、彼はマグダラのマリヤやケパ、すなわちペテロに直接会って、彼らがよみがえられたイエスに会った話をじかに聞いたのです。そして、パウロ自身も復活の主に出会って回心したのです。
イエスさまの復活は事実であり、信じる私たちにとって希望であります。死んでもよみがえり、神の御国に行くことができるのです。
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