2024、5、5          復活節第6主日礼拝        牧師川﨑善三

「イエスの祈り」                      マタイ6:5~15

イエスさまは、ユダヤ人の群衆に、様々な角度から律法を新しく説き明かして下さいました。イエスさまの教えは律法の本質でありました。復讐についての戒めを破棄して、悪人に手向かってはならないと言われました。それまでのユダヤ人は、兄弟同士の間においても、異邦人に対しても「目には目を、歯には歯を」と言われているように、力に対しては力による反撃は許されると教えられていました。しかし、イエスさまは復讐することを禁じられました。「だれかが、あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい」と言われました。この戒めこそが、十字架の福音の本質を言い表しています。イエスさまは、このことを教えられると共に、実行なさいました。人が、他者から、この人こそ真実な人であると言われるには、その人の言っている事と行いとが一致していなければ真実な人と言われることはありません。そういった意味で、イエスさまこそ真実な人であります。さて、イエスさまが「祈り」について、弟子たちに教えられた時、その祈りの内容について、ひとつの「祈り」を教えて下さいました。それが、「主の祈り」といわれる祈りの言葉であります。今日は、その祈りの中のひとつ、マタイ6章12節を学ばせていただきたいと思います。「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください」ここで言う「負債」とは、誰に対する負債なのかと言うことであります。これは、神さまに対する負債です。神さまに対して、私たちは「借金」をしていたのです。イエスさまは、一万タラントの負債のある人が、その主人に全額ゆるしてもらったという譬えを話されました。イエス・キリストの十字架によって借金の証書は塗り消されて、そのうえで十字架につけられて、ひらひらしていると言う意味のみことばがあります。「神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を規定もろともに塗り消して、十字架につけてしまわれた」(コロサイ2:14)そして、言われました「わたしたちに罪を犯すものをゆるしますから、わたしたちの罪をもゆるしてください」クリスチヤンは、このことができなければならないのであります。このことができないならば、どうなるのか。「もし人をゆるさないならば、あなたがたの天の父もあなたがたのあやまちをゆるしてくださらないであろう」私たちは、人の罪をゆるさないで獄屋に入れられることを選びますか。そうならないように、イエスさまが教えて下さった祈りのように、人の罪をゆるすことができるようになりましょう。