2024、7、21 聖霊降臨節第10主日 牧師 川﨑善三
「神のあわれみ」 マタイ9:9~13
イエスさまの弟子選びは、普通とは違っていました。普通ならば、才能のある人、知識のある人、知恵に富む人等と言ったような、何か取り柄のある人が選ばれるものです。しかし、イエスさまの弟子になった人々は、最初からそのようなものを持ち合わせていたとは思えないような人々が、弟子になっています。まず、最初の弟子は、五人いました。ヨハネ、アンデレ、アンデレの兄弟シモン、ピリポ、ピリポの友人ナタナエルであります。バプテスマのヨハネは、イエスさまが歩いておられるのを見て言いました。「見よ、神の小羊」その言葉を聞いて、ヨハネとアンデレは、イエスさまについて行って弟子になりました。次の日、アンデレは兄弟シモンに言いました「わたしたちはメシヤにいま出会った」イエスさまは、シモンに出会ってこう言われました「あなたは、ヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」イエスさまは、ヨハネの子シモンのなかに、キリストの教会の礎となる岩を発見されて、そう言われました。聖書の中には、名前が変えられる人が出てきます。アブラムはアブラハムに、サライはサラに、ヤコブはイスラエルに名が変えられました。新約聖書では、ヨハネの子シモンはペテロに、タルソのサウロがパウロに名が変えられました。名前が変えられるということは、何を意味するかであります。名前が変えられるということは、その人の人生が全く新しいものに変えられるということです。アブラハムと名を変えられた、その人は、人類の祝福の基となる人に変えられました。さて、マタイは、イエスの六番目の弟子であると言えるかも知れません。「イエスは、そこから進んでいかれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て『わたしに従ってきなさい』と言われた」(マタイ9:9)マタイは、イエスさまに声をかけられて、すぐに立ち上がって従っていきました。日頃から、マタイさんは神様からの召しに答える準備がされていたのかも知れません。その日、マタイの家で送別会が催されました。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていました。パリサイ人たちは、これを見て言いました「なぜ、あなたがたの先生は取税人や罪人などと食事を共にするのか」彼らの考えによれば、取税人や罪人たちと食事をする者は、本当の教師、預言者ではないと言うのです。しかし、イエスさまは言われました「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」罪人には、救い主が必要とされます、わたしは義人を招くために来たのではなく、罪人を招いて救うために来たのである。イエスさまは、あわれみ深い方でした。わたしたちも、主と同じような生き方をしたいものであります。
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