2024、9、8       聖霊降臨節第17主日       牧師 川﨑善三

「富める青年」                      マタイ19:16~30

イエスさまのうわさを聞いて、いろいろな人が集まってきました。イエスさまの兄弟、母も、イエスさまの所にやって来ました。「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」(マタイ12:47)イエスさまの親族も、主の働きに不安を持っていました。そこで、イエスさまは言われました「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。天にいます父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」肉によるところの親族は、イエスさまにとって本当の親族ではありませんでした。肉によらず、血筋によらず、人の欲にもよらず、ただ神によって生まれた者が、イエスの兄弟であり、姉妹であり、母であると言われたのです。イエスさまの所にやって来る人は、それぞれでした。ニコデモのように、イエスさまの話を聞いて信じ、弟子となった人もいます。しかし、全部が全部、イエスさまの所に来る人が、イエスさまを信じたわけではありません。ある時、ひとりの人がイエスさまの所にやって来ました。この人は役人でありました。役人になれるような人は、由緒正しく、家柄のしっかりした人でなければ、役人にはなれませんでした。この人は、青年であり、ユダヤの役人であり、相当の資産家でありました。彼は、イエスさまに尋ねて言いました。「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」永遠の生命を得たいという願望は、ユダヤ人全員が持っている切なる願望でありました。神に義と認められること、永遠の生命が与えられること、天国に入れていただけること、これらの事は、ユダヤ人が切に求めているものでした。富める青年は、イエスさまに尋ねました。「どんなよいことをしたらいいでしょうか」全世界のすべての民族が、すべての人々が、何か良いことをしたら、「与えられる」と思っています。これは、自力の宗教です。ユダヤ人にとって良いことは、律法を守ることです。イエスさまは、彼に言われました「いましめを守りなさい」。すると、この青年は「それらのことは、みな守ってきました」と答えました。主は、彼に言われます。「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そして、わたしに従ってきなさい」ザアカイさんは、自発的に、わたしの財産の半分を貧民に施します。不正な取り立てをしていたら、四倍にして返しますと言いました。富める青年は、すべての持ち物を売り払って、貧しい人々に施しなさいと言われました。この言葉を聞いて、彼は悲しみながら立ち去りました。「主はいのちを与えませり、主はちしおを流しませり、その死によりてぞ、われはいきぬ、われ何をなして、主に報いし」(旧讃美歌 332)イエス・キリストは、私たちの罪をゆるすために、十字架におかかりになりました。私たちは、その主に対して、どのような報いができるでしょうか。私達たちは、富める青年のように、主の御前から立ち去ってしまうのですか。