2024、9,29      聖霊降臨節第20主日礼拝      牧師 川﨑善三

「わたしが教える定め」                    申命記4:1~8

 モーセは、類まれなる、すばらしい指導者でした。彼は、指導者にとって一番必要とされるものを、神さまから与えられていました。「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記12:3)柔和な性格は、その人と共にいることに安心を与えてくれます。穏やかな性格でない人のそばにいると、常に緊張を強いられて安らぎがありません。モーセは柔和な人で、みんなから慕われていました。彼のそのような性格は、生まれつきのものではありませんでした。彼は、人一倍、自意識の高い人物であったと思われます。ステパノが、こう言っています。「彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかった」(使徒7:26)40歳の時のモーセは、自信家でした。エジプトの王宮で育ち、エジプトの知識を持っているわたしの手によって、同朋であるイスラエルの民を救うのだと思っていました。また、イスラエルの人々も、わたしを救い主、エジプトからの解放者とみなすだろうと思っていました。しかし、イスラエルの同朋のひとりが、こう言ったのです。「だれが、おまえを私たちの支配者や裁判人にしたのか。きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか」モーセは、この言葉を聞いて恐れ、彼の自信と自意識はこっぱ微塵に、打ち砕かれてしまいました。神さまは、自信家を用いられません。モーセが、神さまのご用に役立つようになるもで、こののち、40年という年月が必要でした。短気で、性急に事を決するような性格が変えられました。穏やかな、穏やかな性質を与えられたモーセが、神さまの栄光を現わすことができなかったという大失態をしてしまいます。神さまが、「岩に命じなさい」、そうすれば、岩から水が出てきますといわれたのに、彼は岩をつえで二度打ってしまいました。「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現わさなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」アロンが、ホル山らに登り、モーセより先に死にました。そして、モーセは主のもとに召し上げられる日が近いことを知って、ヨルダン川の手前にあるモアブの地で、40年間を回顧し、再び、イスラエルの民に主の掟と教えを守るようにと、ねんごろに語っているのが、この申命記であります。「イスラエルよ、いま、わたしがあなたがたに教える定めと、おきてとを聞いて、これを行いなさい。そうすれば、あなたがたは生きることができ、あなたがたの先祖の神、主が賜る地に入ってそれを自分のものとすることができる」(申命記4:1)「われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、常にわれわれに近くおられる」(申命記7:7)神さまは、私たちから離れて、遠くにおられるのではなく、いつも、私たちと共に居て、私たちが呼び求める時に、ただちに答えて下さる神さまであられます。