2024、10、27    降誕前第9主日礼拝          牧師 川﨑善三   

「星のように」                      創世記15:1~19

創世記は、神の選びの歴史というものが記録されています。アダムとエバから生まれた子、カインとアベル、兄カインは弟アベルを殺し、神の祝福から遠ざけられました。そして、三番目の子セツによって、神の祝福の系図は綴られていきます。やがて、セムの子孫からアブラハムが選ばれます。「わたしたちの父祖アブラハムが、まだメソポタニヤにいたとき、栄光の神が、彼に現れて」(使徒行伝7:3)神さまが、アブラハムにご自身をお示しになられたのです。聖書のなかで、神の顕現に出会った人は多くありません。モーセでさえも、燃えるしばの火の中に神様がおられると言う経験をしましたが、神がご自身を現わされたとき、モーセは岩の陰にかくされ、その後ろ姿を見ただけでありました。ですから、「栄光の神が、アブラハムに現れて」という経験は、とても、口では言い表すことのできない経験となりました。このような経験をする人は、幸いな人であると言えます。最初の最初で、神さまの顕現を受けたアブラハムは、その生涯を神と共に歩む生涯へと導かれました。  神と共にある生涯が、いつも順調であるとは言えません。逆境の日があります。そんな時、信仰が試されるわけです。アブラハムの信仰の試練は、子が与えられないことでした。「アブラムよ恐れてはならない。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」(創世記15:1)アブラハムには、この時、実子がありませんでした。「あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」と言われた時、彼が思ったことは、自分が死んだあと、その財産を誰が受け継ぐのかと言う事です。そこで、アブラハムは言います「わたしには、子がなく、わたしの家を継ぐ者はダマスコのエリエゼルであるのに、あなたはわたしに何をくださろうとするのですか」アブラハムには実子がなく、それで彼はダマスコのエリエゼルと言う僕を、跡取りにしようとしていました。しかし、神さまは、あなたの跡取りはその人ではないと言われます。「あなたの身から出る者があとつぎとなるべきです」そして、彼を天幕の外に連れ出して言われました「天を仰いで、星を数えることができるならば、数えてみなさい。あなたの子孫はあのようになるでしょう」アブラハムは、神さまを信じました。主はこれを彼の義と認められました。アブラハムは、神さまのお言葉を信じました。そして、アブラハムに生まれたイサクによって、アブラハムの系図が続いていき、イスラエルという民族の中から、神の御子イエス・キリストがお生まれになったのであります。「信仰による者こそ、アブラハムの子である」(ガラテヤ3:7)わたしたちは、アブラハムの子であります。たとい、異邦人であっても、アブラハムの子であるなら、アブラハムに与えられた祝福の約束のうちにあり、私たちも神の祝福に与ることができます。アブラハムは神を信じた。主はこれを彼の義と認められました。私たちも、どんな時でも、主を信じる信仰に歩みましょう