2024、11、3 降誕前第8主日礼拝 牧師 川﨑善三
「油そそがれた者」 サムエル記上16:6~13
歴史という英語は、Historyと言いますが、それは、神の物語と言う意味があると聞いたことがあります。聖書を、創世記からヨハネ黙示録まで通読しますと、その事がわかってまいります。アブラハムの子孫であるイスラエル民族の歴史を通して、神さまがイスラエルの民をどんなに愛されて、彼らと深いかかわりを持たれたかと言う事が旧約聖書であり、イスラエルの子孫であるユダヤ人の中に救い主イエス・キリストがお生まれになり、ユダヤ人はもちろんの事、異邦人、全世界の人々を救うために、イエス・キリストが十字架にかかり、三日目に復活し、天に帰られ、ご聖霊が信じる人々の上に注がれたと言うことが書かれてあるのが新約聖書であります。イスラエルの歴史は、出エジプト、ヨシュアの時代、士師の時代を経て、新しい時代へと移行しようとしていました。イスラエルの長老たちはみな集まって、さばきづかさサルエルのもとに来て言いました。「あなたは年老い、あなたの子たちはあなたの道を歩まない。今ほかの国々のように、われわれをさばく王を、われわれのために立ててください」(サムエル記上8:4、5)サムエルは、この事を喜びませんでした。自分の子どものことを悪しざまに言われたこともあったでしょうが、彼らが神ご自身が国の統治者であることを忘れ、王を立てようとしていたからであります。士師の時代、イスラエルの人々は自分たちの神を真心から信ぜず、絶えず、まことの神を礼拝し崇めることをせず、偶像礼拝へと転落しました。サムエルは、またその過ちを繰り返すのかと思いました。その時、神さまは彼に言われました。「民が、すべてあなたに言う所の声に聞き従いなさい。彼らが捨てるのはあなたではなく、わたしを捨てて、彼らの上にわたしが王であることを認めないのである。」(サムエル記上8:7)そうして、立てられたのが、初代の王となったサウルと言う人であります。ところがこの人は二度にわたって神さまの言葉に叛いてしまいました。そこで、神さまはサウルの次の王となるべき人を捜し求めて、その人を見つけたので、彼の所に行きなさいとサムエルに言われました。サムエルは、エッサイの子エリアブを見て「この人こそ、主が油をそそがれる人だ」と思いました。しかし、主はサムエルに言われました「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人と異なる。人は顔かたちを見、主は心を見る」そして、エッサイの子の中から選ばれたのが、ダビデでありました。「サムエルは油の角をとって、その兄弟たちの中で、彼に油をそそいだ。この日からのち、主の霊が、はげしくダビデの上に臨んだ」(同16:13)ダビデの上に、はげしく望まれたご聖霊は、主イエスを信じる私たちの上にも臨んで下さり、主イエスを証しするために勇気づけて下さっています。
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